日本ハム・新庄監督にボンズ氏がエール ジャイアンツ時代のレジェンド同僚

[ 2021年11月6日 06:00 ]

02年のワールドシリーズ第5戦に大勝で、バリー・ボンズとハイタッチする新庄剛志
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 日本ハムの新庄剛志新監督(49)のジャイアンツ時代の同僚で、メジャー歴代1位の762本塁打を誇るバリー・ボンズ氏(57)が5日、本紙を通じて盟友にエールを送った。スケールの大きなプレーやスター性など当時から世界的なレジェンドから認められていた「ビッグボス」は、3年間のメジャー経験も生かしながらチームを強化し、3年連続Bクラスから巻き返す。

 メジャー歴代1位の762本塁打を誇るレジェンドから届いた新庄監督へのメッセージ。ボンズ氏は親交のあるTBSの石井大裕アナウンサーを通じて本紙に「Congratulations Shinjo!Best of luck!(新庄、おめでとう!幸運を祈る!)」と熱いエールを届けた。

 新庄監督はかねて自身の著書やテレビ番組などでボンズ氏との親密な関係性を明かしている。ジ軍時代のポジションは「中堅・新庄」、「左翼・ボンズ」。同僚となった02年の開幕前には「お前の左(左中間)に飛んだ打球は全部、俺がキャッチする。お前は右方向だけを追えば良い。あとは打つことに集中しろ」と声を掛け信頼関係を築いた。前年にシーズン歴代最多の73本塁打を放った影響もあり、両リーグトップの68敬遠と勝負を避けられて46本止まりだった主砲だが、打率・370で初の首位打者を獲得。球団13年ぶりのワールドシリーズ進出の立役者となった。

 ボンズ氏は当時、米球界随一のスター。誰もが近寄りがたい孤高の存在だったが、新庄氏は持ち前の明るさと物おじしないキャラクターが気に入られた。クラブハウスで仮眠中、若手選手に起こされたボンズ氏が激怒した際には、新庄氏が頭を叩いて「ザッツ・ノーグッド」と、大人げなさをたしなめた。この一件を機にさらに仲が深まり、ボンズ氏から「俺のバディ(相棒)」と呼ばれるようになったという。現在も強い絆で結ばれている。

 新庄監督にとってもボンズ氏らと濃密な時間を過ごした3年間のメジャー経験は今後に生きるはず。米国で学んだことについては「プライベートと試合のメリハリが凄い。ユニホーム着た瞬間“あれっ、こいつ別人。かっこいいな”というのは勉強になった」と振り返る。「(阪神)タイガースの時、ほとんどしゃべらなかった」というが、渡米を機にメディアへの対応も積極的に。「そういう面ではアメリカからいいものは持って帰ってこられた」と断言する。

 4日の就任会見でもど派手な衣装や言動で話題をかっさらった新庄監督。盟友のエールを胸に刻み、野球人生の第2章を突き進む。

 ▽新庄監督のメジャー時代 メッツ、ジャイアンツ、メッツと渡り歩き01~03年までの3年間プレー。01年4月9日のブレーブス戦で初本塁打を放ち、ニューヨークの地元紙は「SHINJOY」との造語で報道。トレード移籍したジャイアンツでは日本人選手初のワールドシリーズを経験。エンゼルスとの第1戦に「9番・DH」で出場し、第2打席で中前打を放った。03年は出場62試合にとどまり、打率・193と振るわず。5月のジャイアンツ戦で出塁した際、一塁手に「来年は日本に帰るの?」と聞かれ、「ムービースター」と答える姿が番組企画のピンマイクに乗って放送されたこともあった。

 ◇バリー・ボンズ 1964年7月24日生まれ、米カリフォルニア州リバーサイド出身の57歳。アリゾナ州立大から85年ドラフト1巡目(全体6位)でパイレーツ入団。92年オフにジャイアンツにFA移籍し、96年に史上2人目(当時)となるシーズン40本塁打、40盗塁を記録。01年に73本塁打でシーズン最多本塁打を樹立。通算762本塁打は歴代1位。他に首位打者2度、本塁打王2度、打点王1度。07年に現役引退。

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