阪神・岩崎 7年越しで果たした4兄弟の約束 誕生日プレゼントに「オリンピックのユニホームを」

[ 2021年7月19日 08:00 ]

阪神・岩崎の家族が作成した寄せ書き
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 阪神・岩崎への激励を込め、故郷・静岡に住む家族が寄せ書きを作成した。地元の期待を一身に背負う左腕。阪神入団後、4兄弟で交わした「約束」を果たし、日の丸のユニホームに袖を通す。

 6年前に交わした「約束」の存在を明かしたのは長男・甫(はじめ)さんだった。

 「オリンピックのユニホームを優に予約してたんです。やっともらえますね」

 プロ2年目だった15年11月、4兄弟のLINEグループに、優は甫さんへメッセージを送った。「誕生日、何が欲しい?」。たまたまその時、甫さんに欲しいものはなかった。

 「特に思い浮かばなくて“日本代表のユニホーム。東京五輪でいいよ”って。東京開催が決まった後だったので。もちろん、プロでやるならトップを目指してほしい、というメッセージも込めて。返信は“はい、分かりました”っていう、いつも通りのやつでしたけど、優は今でも覚えてるんじゃないですかね。表に出ないけど、あいつの“なにくそ魂”ってすごいんで」。お決まりの“塩返信”も、兄の思いはしっかりと伝わっていた。

 三男・巧(たくみ)さんは兄・優の「厳しさ」を知る。「あの時はめちゃくちゃ怒られたんで」。中学の野球部の練習でアメリカンノックを受けた後、巧さんは疲れて座り込み、しばらく立ち上がれなかった。帰宅後、言われたという。「おまえだけだぞ、座ってたの」――。毎年、年明けに行う地元・静岡での自主トレでサポート役を担っている巧さんは続けた。

 「優は絶対に座って休まない。たぶん(座らないのは)自分で決めたんだと思う。基準が他人じゃなく自分なんで何を言われてもブレないです」。黙々と走り込みを行う姿をずっと見てきた。家族の寄せ書きには「世界をねじふせろ」と書き込み、地道な努力が「世界一」に結実することを強く願った。

 「あの時より緊張するのか楽しみだな」。兄弟が語るエピソードを隣で聞いていた父・久志さんはそう言って笑った。忘れられないシーンは1年目だった14年3月9日の巨人とのオープン戦。甲子園で先発し、2回に阿部(現巨人2軍監督)と対峙(たいじ)した時の姿が忘れられないという。「全身ガチガチで。あんだけ緊張しているのは後にも先にもあの1回。だからオリンピックはどうなんだろうね。緊張の中でどれだけ投げられるか」。だからこそ、寄せ書きに「真っ向勝負」と記した。

 「私の名前がね…」。読みは「やすこ」でも母・恭子さんは「岩崎恭子」の名に少なからずオリンピックとの縁を感じている。「いつものタイガースのユニホームとは違って、日の丸を付けますもんね。国民のみなさんが期待している舞台なので、自分を、らしさを忘れずに投げてほしい」。幼少期は歯医者に行くだけでも号泣し、虫歯ができても、皮膚がただれるまで我慢した。「4兄弟の中でも優が一番泣いてましたからね。小さい頃に泣きすぎて涙が枯れてしまったのかもしれない(笑い)」。

 兄弟の夢、両親の期待、いつしかかぶった「鉄仮面」を携え…岩崎家の次男が大舞台に挑む。

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