2度目の闘病生活を告白した元阪神・横田氏が前を向いた「瞬間」 スポニチだけに戦いの日々を打ち明けた

[ 2021年4月27日 08:00 ]

2度目の闘病を経て故郷の鹿児島に戻ってきた横田慎太郎氏(本人提供)
Photo By 提供写真

 脳腫瘍の闘病を経て19年に現役を引退した元阪神タイガースの横田慎太郎氏(25)が26日、脊髄の腫瘍で昨夏から2度目の闘病生活を送っていたことを明かした。一時は抗がん剤治療投与の断念を考えたほど苦しんだ日々。絶望の中で希望を見出した「きっかけ」とは。以下は一問一答。(聞き手・遠藤 礼)

 ――体の異変に気づいたのは。

 「病名を言われる2、3カ月ぐらい前から足や腰にすごく痛みを感じるようになって。足の感覚がない感じがして、腰も座って立ち上がったり、起きたりすると激痛が走って。最初は疲れと思っていたんですが、長い期間続いたのは異常だなと。1カ月ぐらいそれが続いて、それが7月ぐらい。鹿児島の整形外科に行きました」

 ――病名を告げられた。

 「脊髄に腫瘍ができています、と言われて。え…まさかって。1回目は頭に腫瘍ができて、治療もきつくてもう二度と病気もしない思ってやってきたので。脊髄なんて全然思ってなくて。その後はすぐに関西のかかりつけの病院に行きました。そこで診断してもらってもやっぱり脊髄に腫瘍があると。そこから入院生活が始まりました」

 ――ショックだった。

 「前回もショックでしたけど、今回は“またか”という感じで。これから長い治療が始まるのかと思うと…選手の時と違って目標もなかったので。もうちょっと、厳しかったですね…」

 ――転移は考えてなかった。

 「全く思ってなかったです。100%治ったと思っていたので。6月に頭の定期検査をしたばっかりだったので。大丈夫だと思って普通に過ごしていたんですけど」

 ――前向きにはなれなかった。

 「先の見えない、何を目標にしていいか。探すまで時間はかかりました。長くて、暗い入院生活でした。前回は6カ月で、今回は5カ月だったんですけど、もっと長い気がしましたね」

 ――辛い闘病を経験してるだけに2回目は重くのしかかる。

 「怖かったです。前回より抗がん剤を打つ回数も多くて。治療中は本当に体が悲鳴をあげていたのを感じていたので」

 ――限界だった。

 「本当に体がきつくなってきて、治療をやめたいと思いました。母親にも“もうちょっと治療をやめて欲しい”“耐えれそうにない”と初めて言いました。このままだったら体が壊れていくと初めて思いました。体にも注射器が入らなくて、何回も打ち直して。点滴も入らなくて、それを見てると自分の体がかわいそうになってきて」

 ――どうやって前を向いたのか。

 「時間がある時に部屋から出て、ベンチに座って。ふと周りを見たらたくさんの患者さんが下を向いて辛そうな顔をしていた。自分のことも不安で治療も大変でしたけど、病気に打ち勝って、元気になって、苦しんでいる人の力になりたいと思った。そからは前を向いて、治療と向き合えた。その瞬間がなかったら、自分もどうなってるか分からなかった。自分の目で多くの患者さんたちを見れたのが大きかった。今度こそは、という気持ちが強くなりました」

 ――なぜ自分だけと思いたくなる。

 「最初は思いましたけど、治療やっていく中で神様からの試練だと思うので、絶対に乗り切ってやると。絶対に人の役に立ちたいと思ってました」

 ――闘病という状況で他人のためにと思うことはなかなかできない。

 「まさか25歳までに2回も大きな病気が来るっていうのは神様も絶対に乗り切れると思っているということだと。絶対に、あのバックホームじゃないですけど奇跡とかそういうことが起きると信じて1日、1日、元気になれると思って過ごしていました」

 ――髪の毛も抜けた。

 「また全部抜けちゃいましたね。前回は夏でまだましだったんですけど、今回は冬でめちゃくちゃ寒かったです。毛布にくるまっても寒いぐらいで。背中も毎晩のようにゾクゾクしてましたし。でも、髪の毛が抜けても今回は全然恥ずかしくなくて。前回は帽子とかかぶってましたけど、髪なんか元気になれば生えてくると思ってました。そんなところに気を遣ってる暇はなかったですね」

 ――母親の存在。

 「あそこで母に弱音を吐けたから、乗り切れたと思います。ずっと我慢してたらもっとキツかったと思うので」

 ――コロナ禍で病室で看病はできたのか。

 「感染防止の面で最初は厳しいかもということだったんですが、母は“病室から一切出ないので。息子が退院するまで一緒にいたい”と先生に言ったみたいで。仕事も辞めて鹿児島から来てくれました。病室で寝泊まりしてくれて。大変な思いを一緒にしてくれて…申し訳なかったですけど、1日でも早く一緒に鹿児島に帰りたいという思いで治療しました」

 ――現在の状況は。

 「今回は手術はせず、抗がん剤と放射線治療で。腫瘍はすべて取れました」

 ――退院した時は。

 「前回より本当に長く感じましたし、耐えてきて良かったなと。今回もたくさんの方に支えてもらいながら治療を乗り越えてこれたので。みなさんに感謝の気持ちでいっぱいでした。鹿児島に戻ってきた時はもう次は病気しないぞと。何かあったら相談して、どこか痛い所があったら親とかに言って、大ごとにならないようにしたい。いろんな人も頼って、自分の身を守っていきたいと思いました」

 ――今後は。

 「2回も大きい病気を乗り越えたのも、たくさんの方に支えられたからなので。次は自分が辛かった経験を話して。喋るのは下手ですけど、何か伝えて、1人でも自分と同じ苦しんでいる人が一歩踏み出せる発言をできる人間になりたいです」

 ――白血病の闘病から復帰した競泳の池江璃花子選手の活躍に感じるものもある。

 「池江さんも大変な病気と闘って、乗り越えて。またああやってプールに帰ってこられて優勝もして。本当に人並みの努力ではできないと思いましたし、すごい努力を積み重ねての結果だと思うので強い人だなと。目標を持って一日、一日、戦ってきてすごい方だなと思います」

 ――現在の生活は。

 「今回は治療が多かったので白血球(の数値)が上がっていなくて、まだ食事の方が生ものは食べられないですし。足もまだ自分の足じゃないみたいで思うようにはいかないんですけど、そこでほっておいたら悪くなる一方なんで。散歩とかしたり、動かしていかないと元の足に戻らないと思うので少しずつ動かしています」

続きを表示

この記事のフォト

2021年4月27日のニュース