東海大菅生18年ぶりV!元中日・若林監督、初の聖地確実に

[ 2014年11月10日 05:30 ]

<東京都大会決勝 東海大菅生・二松学舎大付>胴上げされる東海大菅生・若林監督

 来春センバツ(来年3月21日開幕、甲子園)の重要な参考資料となる秋季高校野球東京大会は9日、神宮球場で決勝が行われ、東海大菅生が二松学舎大付を3―2で下し18年ぶり2度目の優勝を飾った。09年に就任した元中日の若林弘泰監督(48)にとっては、初の甲子園出場が確実となった。同校は14日に開幕する明治神宮大会の初戦で、34年ぶり出場の静岡(東海)と対戦する。

 一目散に駆け寄ってきたナインの手で、瞬く間に担ぎ上げられた。3度宙を舞う。自身初の甲子園出場を確実にした東海大菅生の若林監督は「非常に長かった。やっとここまで来られた」と感無量の面持ちだった。

 執念の逆転劇だ。1点を追う8回2死一、二塁。5番・伊藤が1年生左腕・大江からこの日3安打目となる同点の左前適時打を放つと、続く本橋も「同じ1年。負けたくなかった」とスライダーを叩きつけ、勝ち越しの適時内野安打。チームとしては9年ぶりのセンバツをたぐり寄せた。

 09年に就任した若林監督だが、甲子園は遠く「何かを変えなければ」と今春の大会後から自らノッカーを務めた。5月に78歳で死去した東海大相模時代の恩師・原貢氏の姿を思い出しながら選手との距離を縮め、今夏の西東京大会では準優勝。連投ながら144球を投げ、2失点にまとめたエース勝俣は「監督は怒るけど相談も聞いてくれる」。信頼関係が徐々にチームを成長させた。

 今夏の大会後、指揮官は母校の先輩の巨人・原監督や、中日時代の監督だった星野仙一氏から激励されたという。「今回は良い報告ができる」。恩返しの続きは聖地で果たす。

 ◆若林 弘泰(わかばやし・ひろやす)1966年(昭41)4月22日、神奈川県生まれの48歳。東海大相模―東海大―日立製作所を経て、91年ドラフト4位で中日に入団。95年に1軍デビューし、8月10日の巨人戦でプロ初勝利。通算17試合で1勝1敗、防御率8・85。引退後は佐川急便などで勤務し、09年から東海大菅生の監督に就任。社会科教諭。

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