森繁和氏が語る「シゲ」 8年間で成長、落合監督に“認めさせた”

[ 2013年5月7日 08:02 ]

<ヤ・中>試合後に谷繁は、スタンドのファンにメモリアルボードを披露する
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プロ野球 セ・リーグ 中日3-7ヤクルト

(5月6日 神宮)
 2000本安打を達成した中日・谷繁を、04~11年に中日でコーチを務めた森繁和氏(58)が称賛。「グラウンドではあいつに全て任せていた」と全幅の信頼を寄せていたことを明かした。

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 2000安打も大したものだが、捕手であれだけ試合に出続けているのが凄い。若い頃から肩やスローイングは素晴らしいものがあったが、一番感心したのはブロッキング。見てきた中で谷繁が一番うまい。

 打撃はいい方ではないが、配球を読むことが打撃に生きている。ここ一番で勝負強いのは、相手バッテリーが苦しんでいる時の心境がよく分かるからだろう。

 コーチ時代、谷繁に期待したのは、自分たちが言えないことを投手に言ってもらうこと。グラウンドではあいつに全て任せていた。会話をしなくても、2人だけのあうんの呼吸のようなものがあった。ただ、中日に来た当初は苦労した。山本昌や野口、川上――。谷繁と組むのは嫌だという投手がたくさんいた。相手の裏をかこうとするリードが合わなかった。

 俺は捕手をコロコロ代えるのは好きではない。今だから言うが、それで落合監督と何度かもめた。俺が呼び出されて「あいつ、代えろ」と言われたりね。谷繁も気付いていてナゴヤドームの食堂で「監督は俺を嫌いなんですかね」と言うから「俺や監督が好き嫌いで代えることは絶対にない」と叱った。06年に投手チーフコーチからバッテリーチーフコーチになったのは、監督と谷繁の間に入るためだった。

 投手陣のレベルが高い中日で、どうしたら自分が受けさせてもらえるかをよく考えたと思う。捕手目線だけじゃなく投手目線、落合監督のようなホームラン打者の目線からも見られるようになった。俺のいた8年間でも凄く成長したし、最後は監督も何も言わなかった。目の前だけではなく常に次の打席、次の対戦のことを考えてリードできる捕手はそういないよ。

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