【内田雅也の追球】まだ固まってはいない阪神の必勝継投 岡田監督は頭の中で、また新手の策を編み出すか

[ 2023年3月10日 08:00 ]

オープン戦   阪神5-1オリックス ( 2023年3月9日    京セラD )

<オ・神>勝利し、ナインを出迎える岡田監督(右から3人目) (撮影・成瀬 徹)
Photo By スポニチ

 試合終了を見届けると三塁ベンチの阪神監督・岡田彰布はウインドブレーカーを羽織った。そのままベンチ裏に引き上げようとしたのだろう。周囲にうながされ、ベンチ前の列に立った。だから1人だけ、ウインドブレーカー姿だった。勝利のハイファイブで選手たちを出迎えた。

 勝敗は無関係のオープン戦とはいえ、試合に勝ったのは2月25日のオープン戦初戦(対ヤクルト=浦添)以来。ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本、韓国代表戦を含め5連敗していた。勝利の後の慣習も忘れていたようだ。

 勝利をもたらしたのは救援投手のリレー。いわゆる「ブルペンデー」だった。登板した7人は今季、勝ちパターンの継投での起用を期待する投手たちだ。内容には不満もあろうが、失点は1回裏の1点だけだった。

 「ブルペンデー」などという言葉に岡田は興味がない。勝ちパターンの救援投手を先発させ、短いイニングを任せる「オープナー」を初めて採用したのは2018年の大リーグ・レイズだった。以後、先発投手の谷間や不調時の起用法として広まっていった。

 ただ、岡田は現役時代、あの優勝、日本一となった1985(昭和60)年に既に提案している。先発投手陣の不調で連敗が続いた時、掛布雅之、真弓明信ら20人ほどの主力を集め打開策を話し合った。選手会長として当時監督の吉田義男に直訴した。それは好調だった救援投手の福間納、山本和行、中西清起の3投手に3イニングずつ投げさせる、というプランだった。吉田は採用しなかったが熱情を感じ取った。岡田は「とにかく勝つために考えたことよ」と話していた。今で言う「ブルペンデー」で、ある意味、時代を先取りしていたのかもしれない。

 2005年優勝の屋台骨となったJFKの必勝リレーも当時は画期的だった。攻撃側の「ラッキーセブン」を逆手に取り、7回に藤川球児やジェフ・ウィリアムスを起用して反撃を断った。

 当時、アメリカ野球学会(SABR)やベースボール・プロスペクタスなどでクローザーの7回起用が提案されていた。岡田に伝えると「そんなん知らんよ」と素っ気なかった。むろん自ら考案した継投策だった。

 今季の必勝継投はまだ固まってはいない。岡田は頭の中で、また新手の必勝策を編み出すかもしれない。=敬称略=(編集委員)

続きを表示

2023年3月10日のニュース