【内田雅也の追球】阪神のヒットエンドランは無謀だったのか? 明暗分けた5回の攻防

[ 2021年11月7日 08:00 ]

クライマックスシリーズ ファーストステージ   阪神0ー4巨人 ( 2021年11月6日    甲子園 )

<神・巨(1)>5回無死一塁、巨人・ウィーラーは送りバントを決める(撮影・大森 寛明)
Photo By スポニチ

 阪神の敗因、勝敗の分岐点となった5回の攻防を書く。表裏とも先頭の4番打者が安打で出て無死一塁。明暗が分かれたのは5番打者に対するベンチの作戦だった。

 巨人はゼラス・ウィーラーに送りバントを命じた。来日7年目で初の犠打が効いて直後の連打で1点先取となった。

 阪神は糸原健斗のカウント1ボールの時、一塁走者ジェフリー・マルテがスタート。ヒットエンドランを仕掛けた。

 意表をつく作戦だが、巨人バッテリーはこの2球目をピッチドアウト(ウエスト)した。糸原は手も出せず、マルテは二塁で憤死した。

 機密事項で誰も証言などしないが、巨人は阪神のサインを見破っていたのだ。読まれたのは三塁ベースコーチ・藤本敦士のブロックサインかベンチか。解いたのはスコアラーかベンチか捕手か。そして、いつ見破っていたのかは分からない。

 かつて、阪神は1985年は広島の、2005年は中日の、2位だった06年は巨人の、ヒットエンドランのサインを見破っていた。ただシーズン終盤の大事な時期までピッチドアウトは控え、相手に悟られないようにしていた。岡田彰布が著書『オリの中の虎』(ベースボール・マガジン社新書)で明かしていた。「ここぞ」という場面で外して憤死を奪ったという。

 作戦として巨人のバントをたたえ、阪神のヒットエンドランを無謀と書くのは易い。短期決戦で投手戦である。1点の重みはこれ以上ないほど増していた。ならばバントが正解だったのか。

 野村克也が書き残した、その名も『短期決戦の勝ち方』(祥伝社新書)という著書がある。この日と同じ1点ビハインドの中盤、無死一塁の状況を例にあげ<相手の裏をかいてバスターやエンドランをしかける作戦もある>と記している。<チャンスは一気に広がり、ベンチのムードも高まる>。

 <セオリーはバント>だが、ヒットエンドランもありだと認めていた。野村の教え子でもある監督・矢野燿大も承知していたろう。

 何度か書いてきたが、西本幸雄も「大きな試合でベンチが堅い作戦をとると選手が硬くなる」と話していた。「江夏の21球」で伝説となった1979(昭和54)年の日本シリーズ最終第7戦、1点ビハインドの9回裏無死一塁でヒットエンドランをしかけた監督である。

 相手投手の菅野智之は非常に制球が良く、打者・糸原はバットコントロールが良く空振りはほとんどない。

 だから、作戦としてのヒットエンドランは悪くはなかったとみている。

 気になったのは、特に各打者の姿勢に現れていた巨人の積極性、阪神の消極性だった。監督は選手を鼓舞しようと、だから積極的に仕掛けたのかもしれない。ならば余計に、あの憤死は痛かった。巨人はしてやったりの思いだったろう。

 レギュラーシーズンで借金を抱えながら3位の巨人は「負けてもともと」でくる。貯金21、ゲーム差なしの2位だった阪神はV逸の悔恨を引きずり、「負けられない」と受け身になる。士気やチーム内のムードの問題もあった。

 後がなくなり、本来の挑む姿勢を思い出せるかどうか。春先から日本一を目指して戦ってきた阪神が敗れ去るには早すぎる。 =敬称略= (編集委員)

続きを表示

2021年11月7日のニュース