川淵氏のあゆみ 64年東京五輪出場、91年J初代チェアマン、19年選手村村長

[ 2021年2月12日 05:30 ]

東京五輪・パラリンピック組織委員会 森喜朗会長辞任 後任に川淵三郎氏決定的

06年、クラブW杯会見前に三浦知良(右)と談笑する川淵三郎氏
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 【川淵氏のあゆみ】

 ★1936年12月3日 大阪府泉北郡高石町(現高石市)に生まれる。

 ★52年 入学した三国丘高でサッカー部に入部。
 ★57年 2浪の末に早大進学。
 ★58年 日本代表に初選出。
 ★59年 ローマ五輪のアジア予選に出
場。

 ★61年 早大を卒業し、古河電工に入社。
 ★64年 東京五輪のアルゼンチン戦でゴールを決めるなど、日本の8強進出に貢献。

 ★70年 現役引退。
 ★72年 古河電工監督に就任。

 ★80年11月~81年3月 日本代表監督代行を務める。
 ★88年 日本サッカー協会(JFA)理事に就任。

 ★90年 プロリーグ検討委員会の委員長に。
 ★91年 Jリーグを設立、初代チェアマンに就任。
 ★93年 Jリーグ開幕戦(国立競技場)で開幕宣言を行う。
 ★93~94年 V川崎(現J2東京V)の東京移転や企業名を入れないクラブの呼称などを巡り、読売新聞グループの渡辺恒雄氏と衝突。互いを「独裁者」と呼ぶなど舌戦に発展した。

 ★2002年 Jリーグのチェアマンを退任。JFA会長に就任し、「キャプテン」という呼称を採用した。
 ★06年6月 24日付スポニチが次期日本代表監督にオシム氏が決定的と報道。同日、次期日本代表監督の五輪代表での役割について問われ「スーパーバイザー、総監督的な立場でオシムが…。あっ、言っちゃった」と世紀のポロリ。
 ★08年 JFA会長を退任し、名誉会長に。

 ★12年 JFA名誉会長を退き、最高顧問に就任。
 ★15年1月 男子の国内トップリーグが2つに分裂していた日本バスケットボール協会(JBA)を改革するためのタスクフォースのチェアマンに就任。4月には統合したプロリーグ、Bリーグを創設して理事長に就任。5月にJBA会長、日本トップリーグ連携機構会長に就任。
 ★16年 6月にJBA会長を退き、JBAエグゼクティブアドバイザーに。9月22日のBリーグ開幕戦を観戦し「90点」と評した。
 ★18年 JFA最高顧問を退任し、相談役に。
 ★19年 東京五輪・パラリンピックの選手村村長に決まる。

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