レスリング 五輪残留へ 野球・ソフト&スカッシュは“白旗状態”

[ 2013年9月8日 06:00 ]

3月には90万人を超える存続嘆願署名を前に吉田沙保里(中央)が学生らとシュプレヒコール

 レスリングの五輪残留が確実となった。IOC総会第2日の8日(日本時間9日未明)には、20年五輪の実施競技を決める。2月のIOC理事会で中核競技から外されたレスリングは、野球・ソフトボール、スカッシュと最後の1枠を争うが、両団体の関係者は投票前日に“白旗”。6日には日本レスリング協会がIOCの規定に抵触する不適切なアピール活動を行っていたことが明るみになったが、伝統競技の歴史は途絶えない。

 五輪開催都市と同様に“3すくみ”でデッドヒートを繰り広げた実施競技をめぐる戦い。7日になって形勢は一気にレスリングに傾いた。世界スカッシュ連盟で会長を務めたIOCのイムラン委員(マレーシア)は「今回はレスリングが本命で、非常に強い。スカッシュは厳しい」と劣勢を認めた。国際野球連盟関係者も、約100人のIOC委員による投票で「30票ぐらい取れればいい。そうすれば将来の復帰へつながる。今回はレスリングだろう」と語り、白旗を揚げた。

 最終決戦の直前のピンチも乗り切った形だ。6日には国際レスリング連盟(FILA)の会見で、日本協会の“ルール違反”についての質問が飛びだした。これは、8月中旬に各国のIOC委員に向け支持を訴えるメールを送ったことが、IOCが定める活動の期間外だったもの。IOCはFILAに注意処分を与え「軽度な違反で、これ以上の処分の必要はない」と事を収めたはずだったが、この日の質問で事態が発覚。「規則を知らなかった」とした日本協会の福田富昭会長は謝罪をしたが「IOCからは単純なミスと注意されて終わった話。レスリングの足を引っ張ろうというネガティブキャンペーンの中でこういう質問が出た」と怒りが収まらなかった。

 だが、2月のIOC理事会で中核競技から外されて以降、スピーディーに対応した伝統競技の強さは不変だった。IOCのアドバイスを受けながらルール改正や組織改革を一気に推し進め「伝統にあぐらをかいていた」という競技が、現代流のIOCの望む競技に生まれ変わりつつある。「米国がイランと足並みをそろえてレスリング復帰に動いたことも大きかった」と話す関係者も多い。

 FILAの副会長も務める福田会長は「実際にIOC委員からレスリングは残れそうだと言われたこともある。だが、IOC委員同士の友情関係や貸し借りに左右される部分もあって結局は誰も分からない」と話すなど油断はない。「人事を尽くして天命を待っている」。その願いはブエノスアイレスで結実しつつある。

 ▽20年五輪実施競技決定までの流れ 8日のIOC総会では最初に、2月に理事会が選んだ中核25競技についての投票が行われる見通し。ここで外れる競技が出なかった場合、最大28競技と決めた五輪憲章に基づき野球・ソフトボール、スカッシュ、レスリングから1競技の採用をめぐっての投票が行われる。投票権を持つのはジャック・ロゲ会長を除く102人のIOC委員。詳細は明らかになっていないが、過半数を獲得した競技が20年五輪で正式競技入りするもよう。過半数に届く競技がなかった場合は最下位を外して決選投票となる。

 ≪経過≫

 ▼2月12日 IOC理事会が開かれ、20年五輪で実施が確定する「中核競技」の25競技からレスリングが外れる。理事会メンバー15人のうち、ロゲ会長を除く14人の投票で決まった。

 ▼15日 5月29日のIOC理事会で20年五輪実施の残り1競技の選定を審議する際、8候補から3つに絞り込み、その中でレスリングを含める可能性が浮上。

 ▼16日 FILAがプーケットで理事会を開く。マルティネッティ会長(当時)が事態の責任を取る形で退任し、ラロビッチ理事が会長代行に。

 ▼17日 FILA理事会。女性委員会と倫理委員会の設置を決定。

 ▼5月18日 FILAがモスクワで臨時総会を開催。ラロビッチ会長代行が正式に会長に就任。1ピリオド(P)2分の3P制から、1P3分の計2Pで合計ポイントを争うルールに改正。

 ▼29日 サンクトペテルブルクのIOC理事会で、スカッシュ、野球・ソフトボールとともに最終候補に残った。

 ▼8月9日 IOCはモスクワで理事会を開き、16年リオデジャネイロ五輪で女子の階級数を現行の4から6に、男子のフリーとグレコローマンは1つずつ減らして6階級で実施することを決定。

 ▼9月6日 活動が許される期間外に、日本協会が福田会長名の手紙をIOC委員に送っていたことが判明。FILAは福田会長に強く注意した。

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