よみがえる1964年の興奮…今も破られぬ視聴率66・8%

[ 2013年9月8日 08:28 ]

 第2次世界大戦に突入したため1940年(昭15)の夏季五輪開催権を返上した日本にとって、64年の東京五輪は悲願成就とともに、国際社会に本格的に復帰した証明となった。62年に首都高が開通。64年10月1日には東海道新幹線が開通するなど、インフラの整備が一気に進んだ。開会式は10月10日。前日は台風の影響で雨だったが、当日は秋晴れ。聖火の最終ランナーは、広島に原爆が落ちた45年8月6日に広島県三次市で生まれた、陸上選手の坂井義則だった。

 実施されたのは20競技163種目。日本はレスリングで5個、体操で5個など“お家芸”で実力を発揮し金メダルを次々獲得。この大会から正式競技となった柔道は3階級を制したが、無差別級は神永昭夫がアントン・ヘーシンク(オランダ)に抑え込みで一本負けし「日本柔道の敗北」とまで言われ大騒ぎになった。

 閉会式前日の10月23日にはソ連との優勝決定戦を制した女子バレーボール日本代表が金メダルを獲得。“東洋の魔女”は5試合を通じて落としたセットは1つだけという圧倒的な強さを見せた。また、このときの視聴率66・8%は今もスポーツ中継では史上最高。伸びゆく国NIPPONが輝いた瞬間でもあった。

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2013年9月8日のニュース