名古屋、大阪、そして東京…日本“連敗”3で止めた

[ 2013年9月8日 06:40 ]

2020年夏季五輪は「東京」 

 これまで、日本が行った夏季五輪招致活動では開催が1度、決定も返上が1度、敗退が4度となっている。冬季も加えると開催が3度、返上が2度、敗退が6度。最近では、88年名古屋、08年大阪、16年の東京と3連敗しており、嬉しい開催地決定となった。

 日本にとって最初の立候補は1940年の第12回大会。東京がヘルシンキとの一騎打ちに勝ち、開催権を獲得した。だが、37年に日中戦争が勃発、38年に開催権を返上した。次点のヘルシンキでの開催が予定されたが、第二次世界大戦の勃発で、この大会は中止となっている。

 次は1960年の第17回大会。東京はローザンヌなど7都市と争ったが4票しか獲得できず敗退。ローマ(イタリア)に決定した。

 東京は1964年の第18回大会にも立候補。デトロイト(アメリカ)、ウィーン(オーストリア)、ブリュッセル(ベルギー)との争いに勝ち、1回目の投票で過半数を獲得。アジア初の五輪開催が決まった。

 88年には名古屋が第24回大会に立候補した。当選確実という予想だったが、ソウル(韓国)との一騎打ちに27―52の大差で敗れた。

 08年の第29回大会には大阪が立候補。だが1回目の東京で、立候補5都市の中で最も少ない6票しか獲得できず敗退。北京(中国)に決定した。

 2016年の第31回大会には、東京が4度目の立候補。1回目の投票では3位となる22票を獲得も、2回目では20票と票を伸ばせず敗退した。開催地はマドリード(スペイン)を破ったリオデジャネイロ(ブラジル)に決まった。

 冬季五輪では札幌も、1940年に、東京五輪とともにアジア初の冬季五輪開催が内定していたが、東京の開催とともに返上されている。その後札幌は68年の第10回大会に立候補も、グルノーブルに敗れた。

 だが、72年の第11回大会ではバンフ(カナダ)、ラハティ(フィンランド)、ソルトレイクシティ(米国)を抑え、1回目の投票で過半数を獲得し、開催決定。アジア初の冬季五輪を開催した。

 その後、84年の第14回大会でも、2回目の開催を目指して立候補、投票1回戦でトップに立ったものの、サラエボとの投票で3票足らずに敗れた。

 98年の第18回冬季五輪では、長野が立候補。ソルトレイクシティー(米国)、エステルスンド(スウェーデン)、ハカ(スペイン)、アオスタ(イタリア)の5都市で争い、最終4回目の投票で46―42の4票差で勝った。長野はそれまで2度、国内選考で札幌に敗れていたため、うれしい勝利となった。

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2013年9月8日のニュース