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【コラム】金子達仁

「日本スタイル」が世界の目利きを驚愕させる

[ 2021年7月13日 21:30 ]

 長い長い間、日本のサッカーがやってきたのは、いかにして世界の最先端スタイルをコピーするか、ということだった。

 恥ずかしいことではない。「これが自分たちのスタイル」と胸を張って言える国、言えた国は、世界的にも数えるほどしかない。前回のW杯を制したフランスでさえ、「フレンチ・スタイル」を確立したとは言い難いところがある。日本のサッカーが時にブラジルを、時にトータル・フットボールを、時にティキタカを追いかけたのは、伝統のない国としては当然のならいだった。

 イタリアの優勝で幕を閉じたユーロを見てもわかるように、サッカーのトーナメントは、必ずしも最高のチームが優勝するとは限らない。予選でメキシコと引き分けた(PK負け)チームを圧倒したことで、五輪本大会における日本の評価はいよいよ高まるはずだが、前評判がアテにならないのは大舞台の常でもある。

 ただ、この日の前半のようなサッカーを本番でも披露することができれば、たとえ金メダルを逃すことがあっても、日本のスタイルは五輪サッカーに注目する数少ない世界の目利きを驚愕(きょうがく)させるはずだ。特に、息をのむほど美しい展開から生まれた2点目!あれは文句なしのワールドクラスであると同時に、世界のどこでもなかなか見られない、言ってみれば極めて“日本的”なゴールだった。

 なぜバルセロナでああいうサッカーをやったのか。そう問われたクライフが理由としてあげたのはカタルーニャ人の勤勉さ、正確さだった。カタルーニャでなければあのサッカーはできなかった、とまで彼は言った。

 だが、日本人のわたしからすれば、ベッドを注文すれば3カ月かかり、電車や飛行機は遅延するのが当たり前の街に、勤勉さ、正確さを美徳として見いだすことはほぼ不可能だった。だから思ったのだ。カタルーニャ人にあれほど緻密なサッカーができるのならば、日本人ならもっと凄いものができるはずだ、と。

 四半世紀前に漠然と抱いた夢が、現実になろうとしている。

 ここ数試合、相手にほとんどシュートを打たせていなかった日本の選手たちは、この日も、後半6分まで被シュート0に抑え込んでいた。ボールを奪われた瞬間に発動する“封殺システム”の威力は抜群で、おそらく、ホンジュラスの選手も相当に面食らったはずである。

 後半途中からはペースが落ちたようにも見えたが、これは相手がハーフタイムに5枚を取り換えてきていたから。通常のルールでいけば、むしろ振り回された側の方が体力を消耗しており、この日のように疲れた日本を相手に反撃、という図式にはちょっとなりにくい。森保監督からすれば、本番でいつか訪れるかもしれない苦しい時間帯をいかにしのぐか、という予行演習ができた気分だろう。

 正直、フィニッシュの部分での意思の疎通にはまだまだ問題があり、チームとしての完成度は30%ぐらいといったところか。ただ、完成度の低さを差し引いてもなお、このチームが目指すサッカーの方向性は素晴らしく魅力的だ。

 いまはまだ、この魅力を知っているのは日本人しかいない。数年前、大谷翔平を知っている米国人がほとんどいなかったように、である。(金子達仁氏=スポーツライター)

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