男子サッカー代表よ「ガマッチョ」になれ!68年メキシコ五輪銅のトレーナーが53年ぶりメダルに期待

[ 2021年8月3日 05:30 ]

安斎勝昭さんが保管する、メキシコ五輪参加時の記念写真(後列左から)釜本邦茂さん、安斎さん
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 東京五輪のサッカー男子日本代表は3日、53年ぶりのメダル獲得を目指し、準決勝で強豪スペインと対戦する。銅メダルを獲得した1968年のメキシコ五輪代表にトレーナーとして同行した安斎勝昭さん(89)が「選手は当時より明らかにうまくなっている。生きてるうちにメダルを見たい」と奇跡の再現を期待した。

 地元のメキシコ相手に敵地ながら「ハポン(日本)、ハポン」の歓声が起きた伝説の試合から半世紀以上。当時の選手を除くスタッフで存命なのは安斎さんだけという。あの時、ベンチで見届けた快挙。「うれしいなんてもんじゃない。まさか勝つと思ってなかったからね」と振り返る。

 サッカー五輪代表との縁は、マッサージ担当として参加した64年東京五輪で始まった。主催者にたまたまサッカー担当を割り振られたのがきっかけ。握り拳で施術するマッサージが評判を呼んだ。「痛くてヒーヒー言うが、後が気持ちいい」(安斎さん)という独特の施術で、金を獲得した「東洋の魔女」こと女子バレー代表からも声が掛かったという。

 請われて68年、メキシコに。3位決定戦で2得点するなど得点王となった釜本邦茂氏(77)らをもみまくった。「選手はあまりに効果があるんで、びっくりしていた」と安斎さん。釜本氏を「ガマッチョ」と呼びかわいがった。「僕の高い革靴をねだるから“欲しけりゃ家に取りに来い”と言ったら本当に来たこともあったね」と笑った。

 ただ、間近で見た釜本氏のプレーぶりは絶賛した。ステップも踏まず膝下だけ動かしての弾丸シュート。点取り屋としてさまざまな才能を併せ持っていた。“黄金の左足”と呼ばれ、釜本氏との名コンビで知られた杉山隆一氏(80)の名前も挙げ「あの時は2人がずぬけていた。代表のレベルは上がってると思うが、特に釜本は今の選手より凄かった」と話す。

 安斎さんは釜本氏を「ガマッチョ」と呼べる数少ない存在。待ち望むのはガマッチョの再来だ。「堂安や久保が、あんな圧倒的存在になってくれるといいですね」。思い出の品や写真を手に取りつつ伝説誕生を期待した。

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