安室奈美恵 13歳から変わらないいちずさ、潔さ…ステージは芸術というよりスポーツ

[ 2017年9月21日 08:10 ]

安室奈美恵引退発表

94年5月、安室奈美恵withスーパーモンキーズのステージで熱唱する安室奈美恵(右端)
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 1991年だった。世の中はロックブームに沸き、アイドル歌手は真冬の時代だった。そんな中、女性グループをデビューさせるということで、所属事務所スタッフと一緒に沖縄まで見に行った。台風が接近していて、沖縄上空で何度も旋回してなかなか着陸できない。やっと降りて、車でイベント会場に着いたころはへとへとだった。海洋博公園の野外ステージでダンスパフォーマンスを披露する、男2人女5人計7人組がいた。その中の、長い髪を振り乱して踊る、痩せっぽちの小さな女の子に目がくぎ付けになった。少し色黒で、小動物を思わせる瞳のクリッとした子。それが13歳の安室だった。

 彼女のイメージでグループは「スーパーモンキーズ」と名付けられた。その時からほとんど話さず、じーっと大人を観察しているような子だった。ただのアイドルではインパクトが弱いということで、琉球空手有段者のアイドルという触れ込みだった。翌年レコードデビューしたが、さほどヒットせず、子供向け番組に着ぐるみを着て出演する仕事もしていた。しかし、その頃「沖縄から東京に出てきても、すぐ帰ってくる人が多い。でも私は(売れるまで)戻らない」と決意を周囲に漏らしていた。95年にソロとして「TRY ME」が大ヒットしてから状況は一変した。「アムラー」と呼ばれるミニスカートにブーツ姿で歌って踊るスタイルで一世を風靡(ふうび)。天才プロデューサー小室哲哉との出会いも安室をスーパースターに押し上げる原動力となった。

 しかし、何よりも凄かったのは、彼女の卓越したステージパフォーマンス。プロダンサー顔負けの激しいダンスをしながら、天才的なラップを交え、情感あふれる歌声を響かせる。2時間余りのステージで、ただひたすらに歌って踊るだけ。想像もつかないほど猛烈なレッスンと努力の上に、あのパフォーマンスは成立しているのだろう。その空間を共有した者にしか伝わらない恐るべきエネルギー。芸術というよりも、ほとんどスポーツ競技の域に達している。終演後、楽屋を訪れて「今回も凄かったとしか言えません」と感想を伝えると、実に満足そうに笑っていた。

 母親・恵美子さんの非業の死の際も、努めて感情を表さずに超然としていた。人気が最高潮の時に妊娠、結婚という道を迷わず選んだ。たとえ育ての親ともいうべき所属事務所社長相手でも、一歩も引かず自分の主張を通す頑迷さ。自分を取り巻く環境がどう変わろうが、自分の信じたものだけを貫くいちずさ、潔さは、おそらく13歳のスーパーモンキーの頃から全くブレていない。努力できるスーパーモンキー。そのことが凄いとしか言いようがない。 (元尾 哲也)

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