健さん、文太さん 任侠映画2巨頭 別々の道を歩んでともに逝く

[ 2014年12月1日 14:12 ]

高倉健さん(左)、東映・岡田茂東映社長(中)とともに並ぶ菅原文太さん。1974年撮影

  高倉健さん(83歳)に続いて、菅原文太さん(81歳)の死去。昭和の任侠映画の“ヒーロー”が、まるで連れ立つように逝った。ふたりは東映「山口組三代目」などで共演したが、以後は全く別々な道を歩んだ。

 そろって1960年代に東映で任侠映画に出演するようになり、70年代に入ると高倉さんが「網走番外地シリーズ」で、菅原さんが「仁義なき戦いシリーズ」でと “ピカレスク・ヒーロー”として一大ブームを巻き起こした。数年にわたって、そのブームは続いた。

 そして任侠映画ブームが去った後は、それぞれ違う路線を進む。高倉さんが硬派のヒューマニスティックなキャラクターを形成して「幸福の黄色いハンカチ」「あなたへ」などの路線に行ったのに対して、菅原さんは「トラック野郎シリーズ」などコミカル路線へと進んだ。

 だが、奇しくも、高倉さんの代表作の一つとなった77年の映画「幸福の黄色いハンカチ」のテレビドラマ版(TBS・1982年)では、菅原さんが主役を務めている。

 高倉さんが晩年はテレビCMなどを断ったのに対して、菅原さんははるな愛らと共演するコミカルなCMに最近まで出演していた。

 菅原さんは、2013年公開予定の山田洋次監督の映画「東京家族」主演を辞退していた。理由は2011年、クランクイン直前に震災が発生。故郷の宮城県をはじめ被災地で苦しい生活の続く人々が多いのに映画に出ている場合ではないと、俳優引退も示唆していた。高倉さんが俳優業に没入するのに対しても、菅原さんは農業にも取り組み、社会的発言もあえてしていた。2007年頃から膀胱癌などを患い、入退院を繰り返していたもようだ。

 高倉さんが病を隠して秘めやかに逝った。そしてまた菅原さんもひそかに別れを告げた。昭和の硬骨漢が一度に逝去して、寂しさをぬぐえない人たちが多いに違いない。

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