菅原文太さん死去 81歳 「仁義なき戦い」「トラック野郎」

[ 2014年12月1日 14:11 ]

亡くなった菅原文太さん

 俳優の菅原文太(すがわら・ぶんた)さんが28日午前3時、都内の病院で転移性肝がんによる肝不全のため亡くなったことが分かった。81歳。宮城県出身。30日、福岡の太宰府天満宮で家族葬が行われた。喪主は妻文子(ふみこ)さん。

 早大中退後、菅原さんの芸能界へのデビューはモデルだった。画家・中原淳一氏のモデルなども務め、1957年に日本で初の男性だけのモデルエージェンシーが立ち上げられたが、その1期生だった。

 同時期に旗揚げしたばかりの劇団四季に1期生として入団。初期の作品に多くの端役出演した。1958年、新東宝に入社。同年、石井輝男監督の「白線秘密地帯」で本格的に俳優デビューした。

 松竹を経て、67年に東映入社。70年代には「仁義なき戦い」シリーズや「トラック野郎」シリーズで東映を代表するスターに。映画史に燦然(さんぜん)と輝く作品を残した。

 深作欣二監督の「仁義なき戦い」「新仁義なき戦い」シリーズは、従来の任侠ものとは異なる実録路線で爆発的にヒット。非道な暴力団組織に生きるやくざを荒々しく演じて人気を決定づけた。「トラック野郎」全10作は、粗暴だが純情な長距離トラック運転手をユーモラスに演じた。

 80年にはNHK大河ドラマ「獅子の時代」に主演するなど、数多くのテレビドラマで活躍した。宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」の釜爺役をはじめ「おおかみこどもの雨と雪」などアニメ映画の声優も務めた。

 「雷おやじの会」を結成するなど、社会・教育活動にも積極的に携わった。98年に東京から岐阜県清見村(現・高山市)に転居。晩年は山梨県北杜市で農業を営み、農山村再生を掲げて国民運動グループ「いのちの党」を結成した。

 2012年2月には、俳優活動を当面控えると“休業宣言”。東日本大震災を受け「こういう時代にどんな映画を作っても(被災地は)癒やされない」などと話した。仙台市出身とあり、被災地を訪れ、被災者を激励した。

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