猛虎人国記

猛虎人国記(67)~外国(日系人除く)~ 「助っ人ではない」と語ったバース

[ 2012年3月27日 06:00 ]

 「番外」として、阪神に在籍した外国人選手の出身地をまとめてみた。若林忠志ら日系人は除いた。現役選手を含め、実に99人の外国人が入団している。半分の50人目となるクリーク入団は1998年で、外国人枠の拡大に伴い、増加していった。

 米国が83人と多いのは当然。ベネズエラ5人、ドミニカ共和国3人、台湾、オーストラリア各2人……と9カ国・地域から入団している。中米ベネズエラは2005年ダーウィン以降、球団が育成方針で獲得を続ける。

 米国を州別でみると、カリフォルニア州が断トツの18人。次いでテキサス州8人、フロリダ州6人、イリノイ州5人、ワシントン州、ミシシッピ州各4人……と続き、50州のうち31州から入団していた。上位は大体、州別人口順に並ぶ。

 大リーガーの出身地も似たような傾向で、米国でもやはり野球どころというのはある。ライアンやクレメンスなどが生まれ育ったテキサス州は「好投手の産地」でアッチソンとそんな会話をしたのを覚えている。

 球団初の外国人、ソロムコの獲得は1960年(昭35)春だった。パイレーツのマイナーから当時は駐留米軍の座間キャンプにおり、カイザー田中義雄の紹介でテスト入団となった。62年入団のバッキーも3Aハワイ・アイランダースからのテスト入団。65年からの安芸キャンプでは市役所駐車場に特設の「バッキーハウス」を建て、洋風料理でもてなした。いつも爪楊枝(つまようじ)をくわえたカークランドは「木枯し紋次郎」と人気を呼んだ。

 元大リーガーのアルトマンはロッテ退団後の75年にテスト入団。既に42歳で、同い年だった監督・吉田義男が目の前で走らせ、獲得を決断した。著書『牛若丸の履歴書』に<「手抜き工事は自殺行為」と名言を残し真剣な姿勢は周囲への手本となった>とある。

 バースが「どうしてガイジンや助っ人のバースなんだ? タイガースのバースと呼んでくれ」と寂しそうに漏らした言葉を忘れない。キーオは父親が元南海の選手で幼少期に来日しており「ひょっこりひょうたん島」が好きだった。パリッシュは神戸の自宅で「もう限界なんだ」と引退を打ち明けてくれた。フィルダーの長男プリンスは原稿を打つ横で遊んでいた。今や大スターだが、時折漏らす「いずれ日本でプレーしたい」は社交辞令ばかりではない。郭李は台湾・桃園県の故郷を訪ねると、豪華な酒と料理で歓迎してくれた。

 彼らは日本を愛し、阪神を愛していた。歴史を紡いできた猛虎たちである。=敬称略=

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