猛虎人国記

猛虎人国記(50)~熊本県 まさかの投手再転向で復活した遠山

[ 2012年3月27日 06:00 ]

 遠山奬志(昭治)には忘れられない思い出がある。もう「時効」だから書いていいだろう。

 1997年10月21日、ロッテを解雇となった遠山は甲子園球場近くの旅館「夕立荘」に泊まっていた。22日から阪神入団テストが控える。写真部にシャドーピッチングする姿を撮ってもらい、翌日の終面となった。「え!? ピッチャーですか?」と本人が驚いていた。

 高橋慶彦との交換トレードで阪神からロッテに移籍したのが90年オフ。元もとは投手だが、ロッテでは1勝もできず、95年には打者転向。しかし1軍で単打3本を記録しただけで、この97年限りで自由契約。古巣の入団テストに応募していた。

 投手再転向を描いたのは当時編成部長の西山和良だった。「トレード仕掛け人」と呼ばれた西山も放出の際、「大事な子を手放すとは…」と別れを惜しんだ。テストを前に「投手でなら再生できる」と監督・吉田義男らに獲得を進言。テストでは3年ぶりの投球を行い、見事合格となった。

 監督が野村克也となった99年、横手投げに変え、シュートをマスターして左キラーとなった。巨人の松井秀喜、高橋由伸にはめっぽう強く、松井は「夢にまで出てきた」。カムバック賞に西山の慧眼(けいがん)と温情を思った。

 八代一からドラフト1位の入団。1年目86年に8勝をあげた。直球が自然とスライドする「真っスラ」が武器となった。

 遠山と同期同郷が野田浩司。多良木3年の6月にはNHK杯予選で対戦し、遠山に本塁打を浴びて敗れた。進んだ社会人・九州産交が廃部となり在籍2年の特例で87年ドラフト1位で入団。92年オフ、松永浩美との交換でオリックスに移籍。ヤクルト監督時代の野村克也が「お化け」と恐れたフォークを武器に93年最多勝。95年には1試合19奪三振のプロ野球記録をつくった。

 名門・熊本工からは大量10人が入団している。第1号は法政大を経て48年入団の後藤次男。「クマさん」の愛称で親しまれた。2度務めた監督時代は苦労続きで「飲めない酒が飲めたらなあ…」と漏らしていた。かつての元服の日と自慢だったあす15日の誕生日で米寿88歳を迎える。

 後の正捕手、山本哲也は左腕・山部濡也(よしや)を獲得に出向いた際に目にとまった。1年後輩の中村和臣(和富)は内野手で入団し投手転向。58年7勝をあげた。

 八代東からは2人の純一。池田純一はエースとして64年夏の甲子園に出場。掛川西との開幕試合は延長18回引き分けの激闘だった。阪神では好守の外野手。打撃も勝負強く、通算5本のサヨナラ本塁打を放った。73年8月5日巨人戦(甲子園)で9回表2死からの中飛を転倒して捕れず逆転負け。同年は最終0・5差で巨人V9を許したため「世紀の落球」と呼ばれるが、実際は転倒で記録も三塁打だ。引退後の86年ワールドシリーズでトンネルしたビル・バックナーが「このエラーを一生忘れない。今後の人生の糧にしたい」と語ったニュースに涙を流した。=敬称略=

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