猛虎人国記

猛虎人国記(16)~岐阜県~ プロアマの壁破った林の復帰

[ 2012年3月27日 06:00 ]

 林純次は阪神を退団した後、プロアマの壁を破り、話題となった。

 岐阜県土岐市出身。多治見工では3年夏の16強進出が最高だった。同校出身では同じ左腕で通算254勝の阪急・梶本隆夫がいる。社会人・東海理化では補強選手として2度、都市対抗に出場。1995年ドラフト3位指名での入団だった。

 1年目96年は東京ドームでの開幕戦で巨人の4番・松井秀喜相手に起用された(内野安打)。96年は17試合に投げた。だが、翌97年は1軍昇格もなく10月に解雇通告を受けた。24歳だった。

 退団後の同年暮れ、社会人野球がプロ退団者を99年から受け入れるとの報道を目にした。工務店に勤務しながら古巣・東海理化でコーチに就任、復帰へ望みをつないだ。「プロでクビになったつらさを思えば、仕事も頑張ることができた」。建設現場でツルハシを振るい、練習を手伝った。

 そんな姿に手を差し伸べたのが昭和コンクリートだった。新制度の99年1月、晴れて選手登録され社会人復帰となった。3月のスポニチ大会で61年「柳川事件」による断絶後初めて、38年ぶりにプロOBの公式戦出場を果たした。同年、01年と都市対抗にも出場した。

 林とドラフト同期入団の中ノ瀬幸泰も阪神では結果を残せないまま99年に退団。古巣の西濃運輸に復帰。00年、かつて久慈賞も受けた都市対抗で復活勝利をあげた。03年には昭和コンクリートの休部に伴い、移籍してきた林と再会した。

 この95年ドラフト組にはもう1人、岐阜県出身者がいる。大垣日大―名古屋学院大―サンジルシ醸造を経て入団の外野手・曽我部直樹だ。相当な強肩が記憶に残る。ウエスタン・リーグで2年連続本塁打王となった。03年解雇後、ロッテにテスト入団。引退後、用具担当を経て、今年からオリックス監督・岡田彰布付きとして活躍する。

 多くの有名プロ選手を輩出してきた岐阜県だが阪神には計9人となぜか縁が薄い。戦前は1人だけで42年入団の左の強打者、高山泰夫がいる。黄金期の岐阜商(県岐阜商)で39―41年と選抜3年連続出場。優勝した40年は「美技賞」受賞、41年準々決勝は滝川中・別所昭(毅彦)が左肘を骨折した試合で「泣くな別所 センバツの花」と呼ばれた一戦だった。

 交告(こうけつ)弘利は岐阜短大付を中退させて獲った左腕。阪神退団後、中米中心にリーグ戦を行ったグローバルリーグの東京ドラゴンズに加わった。

 豊平晋一は鹿児島・鹿屋中から中京商(現中京)に野球留学。75年夏の甲子園で放った3ランは強烈だった。現役ではともに県岐阜商出の藤原正典、黒瀬春樹がいる。 =敬称略=

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