猛虎人国記

猛虎人国記(39)~大阪府(一) 大阪人唯一の阪神監督 岡田彰布

[ 2012年3月27日 06:00 ]

 大阪府は野球人の宝庫である。タイガースに在籍した選手を調べると、実に108人に上った。むろん県別で断トツだ。

 どこから書こうか迷うが、最初に岡田彰布を取り上げる。創設時から大阪野球倶楽部(タイガース)と名乗ったチームにあって、岡田は史上初、今もただ1人の大阪府出身の監督である。2004-08年の5年間、第30代監督だった。

 玉造で生まれ育った大阪人。父・勇郎は阪神の有力後援者で、幼い頃から猛虎魂が染みついた。幼稚園で名三塁手、三宅秀史とキャッチボールをした。優勝パレードの車に乗った。明星中時代、村山実の引退試合前に肩慣らしの相手を務めた。

 北陽(現関大北陽)に進み、1年夏に甲子園出場。エース4番の3年夏は大阪大会決勝で興国に敗れた。早大セレクションでは10スイングで7本のさく越え。家庭教師を付けての受験勉強し一般入試で入った。3年で三冠王、4年で主将を務めドラフトでは史上初の6球団競合。抽選で阪神に引かれたのは運命的だ。

 選手、2軍監督、コーチ、監督すべてで優勝を経験。数多いシーンの中で思い出すのは89年6月25日の巨人戦(甲子園)の8回裏に放った逆転満塁弾だ。30年前に天覧試合があった日、サヨナラ弾を浴びた監督・村山実の敵討ちを果たした。

 93年、戦力外通告を受けて阪神を去る時の涙を忘れない。オリックス監督の今も「生涯阪神ファン」と自認している。

 北陽は松岡英孝が監督となった60年から力をつけた。甲子園初出場は66年夏。1年生の長崎慶一(啓二)が6番センターだった。3年時のドラフトで阪神から8位指名を受けたが、法大に進学。東京六大学史上初の春秋連続首位打者となりドラフト1位で大洋(現DeNA)に入った。阪神移籍はあの85年。日本シリーズ第5戦で2ラン、第6戦で初回満塁弾と印象的な一発がある。70年選抜準優勝の3番で打ちまくった才田修。阪神では代走1試合の出場に終わった。北陽OBは表の6人のほかにオリックスで現役を終え、05年から打撃投手を務める嘉勢(かせ)敏弘がいる。

 大阪なら浪商(旧浪華商、現大体大浪商)を書かねばならない。戦前、和歌山高小出身の松広金一は34年選抜準優勝の主軸。当代一の剛球投手、楠本保(明石中)を打ち込んだ。明大を中退し、37年の入団。力を発揮できず、満州(大連実業団)に渡った。

 しばらく途絶え、60年に早大、明電舎を経て後藤正美が入団。編成部長として台湾から郭李建夫の獲得に貢献した。酒井貢、大原和男は同学年。酒井は中退して入団。引退後は78年結成の少年野球「ジュニアファイターズ」監督として、今も武庫川河川敷で指導を続ける。

 山脇光治は牛島-香川の1学年下。3年時はエース・4番で春の近畿大会優勝。ドラフト外で入団すると、2軍監督・安藤統男から内野手用グラブを渡された。虎風荘寮長・梅本正之が「優等生」と称えた努力で5年目にプロ初安打。現役15年間を全うした。引退直後からコーチ。3年間務めた三塁ベースコーチから、今季は同い年の新監督・和田豊をベンチで補佐する。=敬称略=

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