猛虎人国記

猛虎人国記(44)~山梨県~ 桜のように咲き、散った剛腕

[ 2012年3月27日 06:00 ]

 スポニチに入社したばかりのころ、芦屋のバーで西村一孔(かずのり)の長男に出会った。「親父の名前を知ってくれているとは……」と喜んでくれた。特製のカレーライスをごちそうになった。

 西村は都留2年時、捕手で夏の甲子園に出た。投手が矢頭高雄(立教大-大映-大毎)。正捕手が故障し、急きょマスクをかぶって活躍。山静大会準決勝で選抜優勝の静岡商、決勝で甲府商を延長21回の激闘で破った。

 社会人・藤倉電線(全藤倉)に進み、コーチだった戦前中京商3連覇の投手、吉田正男に見いだされた。1954年(昭29)の都市対抗で3試合連続完封で準優勝し、同年オフ阪神入りした。

 19歳の新人で開幕投手を務め、ファン選出のオールスターでは2試合とも先発した。シーズン60試合に登板(先発20)、295回1/3を投げ、22勝17敗、防御率2・01。球団初の新人王に輝いた。

 だが、この登板過多がたたり2年目は右肩痛で戦列復帰は7月。23試合7勝3敗に終わった。さらに盲腸を患いながら薬で抑えて登板したため、オフに手術後2カ月も入院。投手生命は事実上絶たれた。実働4年、60年限りで引退。太く短く、桜のごとく華やかに咲き、散っていった。

 99年3月1日 胆管がんのため他界。63歳。先の長男が喪主を務めた。
 弟の西村公一は強打の一塁手・外野手。甲府工で監督・田名網英二の下、66年夏の甲子園で8強。同年第2次ドラフト1位で阪神入りした。

 甲府工からは88年ドラフト1位の中込伸(しん)がいる。87年選抜8強。定時制のため、神崎工(兵庫)に1年間編入、阪神練習生として囲い込んでの獲得だった。
 92年優勝争いでは右の主戦。防御率2・42(リーグ2位)だが、援護に恵まれず、9勝8敗だった。3度の手術を受けた右肘の傷痕に苦闘が刻まれている。阪神を自由契約となった後は台湾・兄弟で投手、コーチ、監督を務めた。今年届いた年賀状には、甲子園で炭火焼き肉店「伸」を始めたとあった。

 山村宏樹も94年ドラフト1位。阪神では1勝止まりだったが、99年オフの近鉄移籍後に力を発揮し、年男36歳となる今季も楽天で現役だ。

 中込と同期同郷だった久慈照嘉。東海大甲府で甲府工と87年選抜にアベック出場し、4強。夏の山梨大会決勝では中込を打ち込み出場した。

 日本石油(現JX-ENEOS)から91年ドラフト2位で入団。好守で1年目から遊撃の定位置を獲った。優勝争いのなか、打撃も勝負強く、リーグ最多の三塁打8本がみな殊勲打だった。新人王に輝いた。引退後の06年に大リーグ・ブレーブスでコーチ研修。09年から務める守備走塁コーチの指導力は広岡達朗の折り紙付き。今季から三塁コーチを務める。

 下手投げの深沢恵雄(よしお)は峡南で72年夏の甲子園に出場。日本楽器では榊原良行と一緒。75年ドラフト5位指名を受け、1年後に入団。81年シーズン中、福間納とのトレードでロッテ移籍。高校時代から試合を通じて交流のあった捕手・袴田英利と組み力を発揮した。

 滝(たき)道章(みちあき)は身延を出た後、米軍横田キャンプにいた捕手。牧野塁は山梨学院大付からオリックス入り。03年オフ、葛城育郎と阪神に移籍してきた。=敬称略=

続きを表示

バックナンバー

もっと見る