【内田雅也の追球】「野球小僧」岡田監督の原点 安芸キャンプは「苦しくも楽しい」練習の場所

[ 2022年11月2日 08:00 ]

サブグラウンドで新庄(後方)に内野守備のアドバイスをする岡田(1991年2月24日、安芸市営球場)
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 その頃、安芸市営球場のサブグラウンドにはプレハブ造りのトレーニング室があった。岡田彰布は窓から顔を出し、新庄剛志の特守を眺めていた。「あいつ、一人でやっとんのか……よしっ」

 岡田はグラブを持ち、特守に飛び入り参加、そろってノックを受けた。1991年2月24日のことである。1面原稿を書いたので覚えている。

 新庄は高卒プロ2年目、まだ1軍出場はなかった。背番号63を背負う内野手だった。遊撃、三塁、二塁と場所を移し、岡田はゴロ捕球時の低い目線や送球時のステップなどを実演しながら指導した。新庄が「苦しい特守が今日は楽しかった。しっかり身につけたい」と話していた。

 そうなのだ。野球は本来楽しいものである。日本ハム監督となった新庄がいま、指揮官として実践している言動も「楽しさ」が基本にある。

 あの日の1面原稿に書いていた。<根っから野球が好きな岡田には、この日の「教室」も自分がやりたいからやっただけという、いい意味での「遊び心」が見える。「プレーボール」の言葉のごとく、野球は本来楽しくやるもの。岡田には今でも「野球少年」のような趣があった>。

 当時、阪神担当記者の間では野球を楽しむ岡田を「野球少年」「野球小僧」と呼んでいた。

 そんな岡田が監督に復帰し、この日、安芸に入った。コロナ禍で中止していた秋季キャンプを張るのは3年ぶりである。

 自身が現役時代、汗を流した安芸で練習の日々を送るのも感慨深いことだろう。秋季練習中に会った際には「確か、秋季キャンプの安芸は暑いぐらいだったよな。半袖いるな」と持ち込む服装を気にしたり、「あの小屋は今でもあるんかいな」と、いつも炭火にあたっていた倉庫小屋を懐かしんだりしていた。

 1965(昭和40)年からキャンプ地としてある安芸である。岡田はもちろん、多くの先人たちの汗が染みこんでいる。

 2月の春季キャンプは1軍はすでに沖縄・宜野座に移っている。来春からは2軍も沖縄・具志川に移転する。「秋の安芸」は残る。

 岡田にとって、阪神にとって、安芸は原点に立ち返れる場所だろう。新庄が話したように「苦しくも楽しい」練習の場所である。=敬称略=(編集委員)

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