落合博満氏 1998年、引退する意思を最初に伝えた人物とは 「えらい失礼なことを…」

[ 2022年11月2日 17:05 ]

落合博満氏
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 現役時代に3冠王を3度獲得し、監督としては中日を4度のリーグ優勝に導いた落合博満氏(68)が2日、自身のYouTube「落合博満のオレ流チャンネル」を更新。プロ20年目、現役最終年となった1998年シーズンを振り返った。

 ロッテ、中日、巨人を経て、日本ハム移籍1年目の1997年は打率.262、3本塁打、43打点だったが、113試合に出場し、史上最年長の44歳シーズンでの規定打席に到達した。そして迎えた98年。開幕戦こそ4番を勝ち取ったが、4月25日の西武戦(東京ドーム)を最後に先発で4番出場する試合はなく、59試合の出場で打率.235、2本塁打、18打点に終わり、現役を引退した。

 1998年に野球をやめる決意した落合氏。引退するにあたって家族に相談したか問われ「ああ、これね。女房の誕生日の1日前に、経堂にあるフランス料理店に行ってね。ご飯食べている時に、あの~、女房そっちのけで息子に、“オレ野球やめていいか”って聞いたっていうのがね。これいまだに女房に言われますよ。“なんで私じゃないの”って」と“ひと騒動”あったことを回顧。

 聞いていた信子夫人はたまらず「私の誕生日にちょっとね、普段フランス料理なんて本当にディナーショーとか、皆さんとね、そういう時にいただくだけで、フランス料理連れて行ってくれるって初めて言ってくれて。それで息子と2人で(席に)並んでたら、息子の方にね、子供の方にね、“父ちゃん野球辞めていいか?”って聞いたの。で私横にいて、“うわっ、何も相談もなく今いきなり、初めてのフランス料理で、それで衝撃よね、相談なくして。一緒にまあね、やってきて歩んできて野球人生、息子に“父ちゃん野球やめていいかな?”って言ったの。で、息子も黙っちゃうの。私も“えっ”て」と自身が感じた当時の驚きと困惑を説明。

 しかし、続けて「でも今ね、フライが5メートル後ろに落ちたとか、目がまぁかすんだとか、いろんなことを今初めて聞いて。それで、うん、納得した。それで福嗣に(言ったんだろう)。私に言ったら、まあどういうふうにね、なるか分からないって不安もあったと思う。ただ自分のその体力的に、動体視力、あの特にバッターですのでね。だからそれが大きな(ファウル)フライが、後ろに逃すってことはね、“あっ、限界だな”っていうことを今聞いて分かりました。理解しました」と落合氏が引退を決意する過程をやっと分かったと話した。

 それにしても、なぜ信子夫人ではなく福嗣さんに言ったのか。落合氏は「いや、常々“辞めるのは自分で決めろ”って言ってたから。それで自分で決めたんで、言わなくていいのかなっていうところ。まあでも、よくよく考えてみたら、“あっ、これはえらい失礼なことをやっちゃったな”って思うんだけど」と苦笑い。信子夫人も本音では「うん、やっぱりまぁね。二人三脚で、まぁ力及ばないにしてもね、息子にいきなり…だから子供もびっくりしただろうしね。私も衝撃は。だから一生これはね、どうして私に言わなかったのってね、何かあるたびに言っちゃうの」といたずらっぽく笑っていた。

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