村田兆治という男 「昭和生まれの明治男」頑固一徹、でも心は優しい人

[ 2022年9月24日 05:30 ]

村田兆治容疑者 暴行容疑逮捕

村田兆治氏のマサカリ投法(1989年)
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 私が担当していたのは右肘のトミー・ジョン手術を受けて復活を目指していた頃から現役引退まで。当時、ストイックに野球に取り組む姿勢と、頑固一徹な性格から「昭和生まれの明治男」などと言われていたが、取材してみると、心は優しい人だった。

 右肘の手術を受けて復活を目指していた84年2月、当時のキャンプ地、鹿児島に向かう機内で村田さんに「ちょっと来い」と呼ばれた。最後部に並んで座り、数日前の記事についてクレームを付けられた。自分が思っていないことを書かれたということだったが、真意を伝えると村田さんは納得。上着のポケットから普段使っていたネクタイを取り出し、「使ってくれ」と言って渡された。

 現役最後の90年に、話を聞こうと都内の自宅に“朝駆け”したことがある。ほとんど話が聞けなかったので、川崎球場まで村田さんの車の後ろを、タクシーでついていった。すると途中で「こっちに乗れ」と、助手席に乗せてくれて話をしてくれた。記者の仕事も理解して接してくれる気遣いの人だった。マサカリ投法同様、無骨ではあったが、カッとなったところは見たことがない。(83、84、87~90年ロッテ担当、編集委員・大西 純一)

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2022年9月24日のニュース