松永怜一氏死去 20年前の「野球ノート」に書かれていた球界の課題

[ 2022年5月12日 18:24 ]

松永怜一さん
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 野球の日本代表監督として84年ロサンゼルス五輪で金メダルを獲得した松永怜一(まつなが・れいいち)氏が12日、亡くなった。90歳だった。

 松永さんの訃報を聞き、記者は故人直筆の「野球ノート」を読み直した。20年前に記された冊子は「練習は監督が、試合は選手が」との本題に基づき、指導者の果たすべき役割が詳細に説明されている。たとえば「精神面を強くする経験則が基盤の管理野球ではなく、選手の自主・自立を尊重すべき」と訴えつつ、技術面はキャッチボール、ノックと基礎技術向上に重きを置いた。また「若者のメジャー指向の増加と日本復帰の条件」も私見で明かしている。ロス五輪以降もJOC選手強化本部長を歴任し、世界の野球に精通していたからこそ20年先の課題が見えたのだろう。

 松永さんの体調がすぐれず、最近はお話を聞く機会はなかった。母校・法大戦を終え、神宮球場近くの居酒屋で「このままでは競技人口は減るばかりだよ」と諭されたのは10年以上前になる。日々の雑務に追われて、何もできなかった自分が恥ずかしくなる。
(特別編集委員 伊藤 幸男)

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