広澤克実氏 ロス五輪監督の松永怜一氏追悼「一切笑わなかった昭和の頑固オヤジ」金の笑顔忘れられない

[ 2022年5月12日 19:00 ]

広澤克実氏
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 野球の日本代表監督として84年ロサンゼルス五輪で金メダルを獲得した松永怜一(まつなが・れいいち)氏が12日、亡くなった。90歳だった。松永氏は法大卒業後、長くアマチュア球界で指導者の道を歩んだ。法政一では60年春、61年夏の甲子園に出場。堀越学園の監督を経て、65年に母校・法大の監督に就任した。田淵幸一、山本浩二、富田勝の「法大三羽ガラス」や、リーグ通算48勝の山中正竹らを育て、法大の黄金時代を築くなど名指導者として知られた。

 明大時代の84年ロサンゼルス五輪代表で松永監督の下、金メダル獲得に貢献した当時主砲を担った広澤克実氏(本紙評論家)が「野球指導者の中の指導者」と言われた松永さんの死を悼んだ。

 ロス五輪をご縁に、よく手紙をいただいていたのですが、2、3年前から届かなくなりました。どうされているんだろうと思っていたのですが…。

 明大の島岡御大とはまた違う厳しい監督でした。38年前のロスが昨日のことのように思い出されます。「遊びに来てるんじゃない。国の威信を懸けて来てるんだ」と日の丸の重さを強調。直前の日米大学野球で全く打てなかった私は「足を上げるな。上げずに打て」と命じられました。

 全体練習が終わってから居残り練習。選手村と練習場を往復するスクールバスを待たせてティー打撃を繰り返しました。気温40度の炎天下での特訓。首筋が焼け、シャツがすれるだけでも痛かった。

 その特訓のおかげで決勝の米国戦での3ランなど3本塁打。金メダル獲得に貢献することができたんです。選手村に戻ると、それまで一切笑わなかった昭和の頑固オヤジが笑顔で「よくやった」と選手一人一人を労ってくれました。そのお顔が忘れられません。世話になりました。ご冥福をお祈りします。

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