阪神ドラ1・森木大智は小学生時代から「怪童」だった デビュー戦で3歳年上から衝撃ランニング弾

[ 2021年11月29日 05:30 ]

阪神新人連載「猛虎新時代の鼓動」1位・森木(上)

小学校6年時、高岡第二イーグルスで投手を務める森木(高岡第二イーグルス・石元監督提供)
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 阪神が10月11日のドラフト会議で指名した計8選手(育成ドラフト含む)のプロ入りまでの道のりをたどり、素顔に迫る連載「猛虎新時代の鼓動」がスタート。まずはドラフト1位・森木大智投手(18=高知)を3回にわたって紹介する。高知県土佐市で野球を始めた最速154キロ右腕は、小学生時代から投打で周囲の度肝を抜いた数々の逸話に彩られていた。

 原点は11年前だ。蓮池小に通っていた大智は1年生の時にソフトボールを始めた。そして3年時から父・育悟(やすのり)さんの中学時代の1学年先輩、石元恭一監督率いる軟式野球・高岡第二イーグルスに入団した。

 最速154キロ右腕の「怪物伝説」はマウンドではなくダイヤモンド1周から始まった。

 「ゴールデンウイークに入る前に県の大会があって、そこで、初めての公式戦で右中間にランニングホームランをかっ飛ばして…」

 石元監督が驚がくの記憶を、ひもといていった。公式戦初出場の3年生が6年生の投手相手にいきなりランニング本塁打を放ったのだ。小学生時代の3歳差と言えば、特に体格面で大きな差がある。運動能力面も同様だ。ところが大智は、相手チームも試合後に知るまで低学年だとは気づかなかったほどの活躍を見せた。まさに衝撃デビュー。入団時は三塁手だったが、夏頃には捕手としてレギュラーに定着していた。

 そして「投手」としての第一歩は、「1回5奪三振」で踏み出した。まだ本格的に投手を始める前の4年時の県大会で抑えとして1イニングに登板。すでに身長が1メートル60に迫っていた大智が投じる剛球は当時から球威抜群だったが、まだ粗削りで制球が定まらなかった。加えてそれを捕球できる捕手もいなかった。そして打者も前に飛ばすことができない。すべての要素が重なった結果が振り逃げ2つを含む5奪三振。まるで漫画のような逸話だ。大智の名は徐々に高知県内に広まって行った。

 誰かに言われるまでもなく、自分で努力ができる少年だった。当時、打撃の方が好きだったという大智について石元監督は「バットを振った回数で言ったら、今まで見てきた中では彼が一番、振っていた」と証言する。自身も強豪・高知商でプレーしていた指揮官に「小学生であんな手は見たことがない」と言わしめるほどのマメをつくった。その努力は結果にも結び付いた。

 大智が振り抜いた打球は、時に推定飛距離80メートル超の弾丸ライナーの本塁打となり、校庭の右中間方向、校舎3階の高さにある時計塔に幾度となくぶち当たった。引っ張れば飛距離70メートルの左翼フェンスを軽々と越え、その裏にあった駐車場をも越え、奥にあるプールに着弾。それが当たり前の光景になっていた。もはや小学生の打球ではなかった。そして自身の打撃練習後は、自主的にランニングやショートダッシュを繰り返す――。大智を怒った記憶がないという。

 心身両面で順調に成長曲線を描いていった大智。すでに身長1メートル70に達していた6年時には、最速127キロを計測する剛腕になっていた。大人用のユニホームを身にまとってマウンドに立ち、時には大型捕手としてもチームをけん引した。投打の大黒柱として、県大会優勝へと導いた。

 規格外のプレーで数々の伝説を残した大智は、6年秋に軟式野球の県選抜「高知ボーイズ」に選出された。そこで、その後の野球人生を左右する次の恩師に出会うことになる。(石崎 祥平)

 ◇森木 大智(もりき・だいち)2003年(平15)4月17日生まれ、高知県土佐市出身の18歳。蓮池小1年から蓮池ホワイトシャークでソフトボールを始め、3年時から高岡第二イーグルスで軟式野球を始める。高知中では軟式野球部に所属し3年春夏の全国大会で優勝。高知高では1年春の四国大会からベンチ入りし2年秋からエースも、甲子園出場なし。1メートル84、90キロ。右投げ右打ち。

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