「無の境地」で過ごした4カ月 松坂「苦労もいいだろうと」

[ 2011年10月6日 09:49 ]

手術から前日のキャッチボールまでの過程にすべてを語った松坂

 <レッドソックス・松坂大輔 単独インタビュー>

 ――生活面で不便もあったのでは。

 「一番は頭を両手で洗えない。顔も洗えない。ご飯も食べられない。でも、左手を練習するいい機会だなと。箸など積極的に左手を使って。もう何でも楽しもうじゃないけど、こういう状況はそんなにあるものじゃない。苦労もいいだろうと」

 ――夜、寝ている間の痛み対策は。

 「妻(倫世夫人)に“(薬の効果が)切れる前に起きて飲んだらいいんじゃない”と言われて。痛み止めの薬が大体何時間って聞かされていたので、何回も目覚まし時計をセットした。2~3時間おきぐらいに起きた。強い薬だったから体も重かった」

 ――地道な作業だが。

 「最初は面倒くさかったけど、そうすることによって痛みから解放された。(手術後)1週間ぐらいは、起きてはいるけど、ずっとベッドにいるだけで、体は動かしたくても動かせない。食事の時だけ動かす。寝て、ご飯を食べるためだけに起きて。ある意味幸せだった(笑い)」

 ――周囲へも気を使う必要があった。

 「自分がネガティブな状態になって、その状態に周りを巻き込むのは嫌だと思っていた。何を聞かれても“せっかくなので気持ちを切り替えて休んでいます”と答えていました。自分のためにもはっきりと気持ちを切り替えるのが大事だと。中途半端に野球のことを考えることはやめた。オフだとはっきり決めて過ごそうと思った」

 ――術後すぐに切り替えられたのか。

 「最初はどうしても投げることを考えてしまうし、試合も見ていた。でも、野球のことを考えれば考えるほど気持ち良く過ごせない。だから意識して野球の試合は見ないようにした。最初はシャドーピッチングもやりましたが一切やめた。リハビリとトレーニングだけに集中しようと」

 ――それはなかなか難しいことでもある。

 「無の境地というのは少し大げさかもしれないけど、朝起きて、球場に行って、リハビリをやって帰る。この4カ月はその繰り返し。(手術後)1カ月ぐらいかな、それが自然となった。リハビリを行っているのは自分だけど、自分じゃないというか。自分のことを俯瞰(ふかん)している感じ。ああいう感覚で過ごしていたのは初めて」

 ――ここからは実戦復帰へ向けての作業に入っていく。

 「新しい松坂大輔をつくっていくのに十分な時間を与えられていると思っている。僕はその時間を少しでも無駄にしたくない。待ってくれている人たちがたくさんいる」

 ≪松坂の手術からリハビリ開始までの流れ≫5月16日のオリオールズ戦で5回途中でKOされ、翌日に精密検査。その後、右肘じん帯の断裂と診断され、6月10日にロサンゼルス市内の病院で、肩と肘の権威のルイス・ヨーカム医師による執刀で腱移植手術を受けた。その後は本拠地ボストンで治療や軽めのリハビリを行い、術後10日となった同20日にギプスが外れた。同24日、フォートマイヤーズの球団施設で本格的なリハビリを開始。10月3日に初めてキャッチボールを行った。

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