【コラム】金子達仁

久保が“努力と発想の掛け算”怠らなかったら…

[ 2019年6月15日 05:30 ]

<コパ・アメリカ大会 日本代表練習>軽快にリフティングする久保建 (撮影・大塚 徹)
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 アテネ五輪の日本代表監督だった山本昌邦さんによると、サッカーは「技術(10点)×戦術(10点)×体力(10点)」によって構成されているのだとか。なるほど、得心のいく説明である。と同時に、同じことは個人についても当てはまるのでは、という気がしてきている。

 きっかけは先月、雑誌の取材で中田英寿の少年、青年期を知る人たちを訪ねたことだった。ほぼ全員が「才能は大したことがなかった」と前置きしたあとで、「でも」と印象的なエピソードを口にしたのである。

 まだ代表に選ばれてもいないのに、アジアユースに備えて、真夏でもウインドブレーカーを着て練習していたこと。

 練習終了後、付き合わされた後輩が音を上げるほど、単調なキックの自主練を延々と繰り返したこと。
 それが終わると、今度は社会人チームの練習に飛び入りで参加していたこと。

 「俺は財前にはなれない。でも負けたくない」と言い切り、自分の武器としてキックと体の強さに磨きをかけたこと。

 ユース時代に山本昌邦さんから言われた「これからのサッカーはパスの強さが重要だ」という言葉を信じ、キラーパスと揶揄(やゆ)されることがあってもそのスタイルを最後まで貫いたこと――。

 聞いているうちに、こう思うようになった。サッカー選手は「才能(10点)×努力(10点)×発想(10点)」によって成り立っているのではないか、と。

 純粋に才能だけを比較するのであれば、中田英寿よりも大きなものを持った選手はいくらでもいた。中田を5とするならば、10をつけてもいいと思う選手までいた。

 だが、誰の目にも明らかなほど天賦の才に恵まれた少年の多くは、その豊かな才能ゆえに、才能だけで勝負しようとしてしまった。中田英寿が「才能5×努力10×発想10」で合計500になったサッカー選手だとしたら、「10×1×1」の、たったの合計10で終わってしまった選手は珍しくない。

 思えば、マラドーナは10、あるいはそれ以上の才能に恵まれた選手だが、そのプレースタイルや体形、顔つきや言動もどんどん変わっていった。結果としてマイナスとなる点があったのは事実にせよ、あれほどの才能の持ち主でさえ、進化の努力は怠らなかった。

 才能は重要な要素だが、サッカー選手のすべてではない。努力と発想次第で、可能性はいくらでも広がる。

 だが、サッカー選手に才能など必要ない、というわけではもちろんない。

 もし、豊かな才能に恵まれた少年が、努力と発想の掛け算を怠らなかったら?若いうちから、いまの自分に欠けているものを見据え、克服し、獲得しようとする努力を続けたら?

 いままでの日本にそんな選手はいなかった。天才も、大人になったらただの人。それが日本に生まれ落ちた才能の宿命だった。

 彼は、明らかに去年とは違う。得点能力は、数カ月前に比べても上がっている。こんな選手を日本で見た経験がわたしにはない。

 それが久保建英である。彼はひょっとしたら…いや、いまはまだやめておこう。(金子達仁氏=スポーツライター)

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