たけし「『戦場のメリークリスマス』は俺だけになってしまいました」“戦友”坂本龍一さん訃報にショック

[ 2023年4月4日 05:10 ]

82年、「戦場のメリークリスマス」製作発表会見に臨む(左から)ジョニー大倉さん、坂本龍一さん、大島渚監督、ビートたけし
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 音楽家の坂本龍一(さかもと・りゅういち)さんが3月28日に71歳で死去したとの悲報から一夜明けた3日、芸能界に悲しみが広がった。坂本さんが初出演し、音楽も手がけた大島渚監督の映画「戦場のメリークリスマス」(1983年公開)で共演したビートたけし(76)は「仲間がみんないなくなってしまった」と苦しい胸の内を吐露した。「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」でともに活動した細野晴臣(75)も盟友の死にショックを隠せなかった。

 たけしは「ただただショックで残念で仕方がなく言葉もありません」と打ちひしがれている様子。「大島渚監督が亡くなってデビッド・ボウイが亡くなって、坂本龍一さんが亡くなって仲間がみんないなくなってしまい、『戦場のメリークリスマス』は俺だけになってしまいました」。大島渚監督は13年、ボウイさんは16年に鬼籍に入り、一緒に出演した内田裕也さんも19年に亡くなった。自身の周りから主要キャストが次々と去っていき、ついに坂本さんまで。寂しい心の内が表れた追悼文だった。

 「戦メリ」は第2次世界大戦時の日本軍捕虜収容所を舞台にした物語。企画から撮影まで4年かかり、キャスティングも難航。米俳優ロバート・レッドフォード(86)、緒形拳さん、沢田研二(74)ら実績ある役者の起用が頓挫し、最終的に大島監督は俳優が本職ではないボウイさん、坂本さん、たけしを大胆に起用した。

 坂本さんは映画初出演。自身が音楽も手がけることを条件に出し、出演を決めた。製作発表で「役者はそんなにやりたくもない」と言ったのも、坂本さんらしかった。

 82年夏、南太平洋に浮かぶラロトンガ島で撮影。大島監督はキャストやスタッフを激しく叱責(しっせき)することで有名だった。「たけしを怒ってはいけない契約があった」とたけし自身が話しており、セリフをミスした時に大島監督は相手役を叱っていたという。坂本さんとも「怒られたら一緒にやめよう」と約束していたというが、2人とも最後までやりきった。

 映画は翌83年に公開され、配給収入約10億円のヒット。世界で高評価を受け、テーマ曲「Merry Christmas Mr.Lawrence」は坂本さんの代表曲となった。

 戦メリは坂本さんを映画音楽の道へ、たけしを俳優や映画監督へと導き、共に世界で成功を収めるステップとなった。坂本さんは87年の映画「ラストエンペラー」の音楽で米アカデミー賞作曲賞を受賞。たけしは89年に監督デビュー。97年に「HANA―BI」でベネチア国際映画祭最高賞の金獅子賞に輝いた。

 2人は99年に大島監督の映画「御法度」で再会。坂本さんが音楽監督、たけしは土方歳三役で出演した。撮影現場は“同窓会”のような雰囲気だった。

 13年に大島監督が死去。たけしは通夜で「きっかけはみんな戦メリだった」と思いを語った。「世界のサカモト」「世界のキタノ」。同じ枕ことばで知られた坂本さんとたけしの出発点は戦メリだった。

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