渡辺謙、照らし続ける被災者の心…13年から続くカフェ交流 震災から10年「教訓を再確認する機会」

[ 2021年3月1日 05:30 ]

東日本大震災から10年――忘れない そして未来へ(1)

宮城県・気仙沼市のカフェ「K-port」に顔を出す渡辺謙(19年撮影)
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 東日本大震災から10年。芸能界などで活躍する被災地ゆかりの人たちが「あの日、あの時」の生々しい記憶とその後の10年を振り返りながら、被災地にエールを送るインタビュー企画「忘れない そして未来へ」。第1回は宮城県気仙沼市にカフェをオープンするなど、復興を信じて東北を勇気づけてきた俳優の渡辺謙(61)です。

 震災発生時、渡辺は米ロサンゼルスからの帰国便にいた。成田空港に着陸できず、飛行機は急きょ石川・小松空港へ。5時間近く機内で缶詰めとなり、その日の深夜に空港ロビーへ移動。テレビで見た光景に目を疑った。

 「その時点ではどうやって家に戻ればいいんだろうというのが一番だった。全体像を把握する余裕はありませんでしたね」

 翌日に成田空港に戻り、自宅まで長時間かけて移動。そこからすぐに行動に移した。震災4日後、仕事仲間で脚本家の小山薫堂氏(56)と共に被災地支援メッセージサイトを開設。翌4月には宮城県などへ向かい22カ所の避難所を訪問した。「自分は揺れも体験していないし、ある意味で当事者感覚がなかったから動けた。何かをしなくてはという焦燥感が強くあった」と振り返る。

 現地での光景に目を疑った。「風と波の音だけで、自分はどこにいるんだという感覚。人は瓦礫(がれき)と呼ぶけれど、そこにあったのは生活をしていた人のモノ。無残な姿でした」。避難所では被災者の声に耳を傾けた。家族を亡くした男性とともに涙を流すこともあった。別れ際のあいさつは「さようなら」ではなく「また来るね」を意識した。

 言葉通りその後も東北に足を運んだが、次第に「ここから先は何ができるのか」との思いが芽生えた。そして2013年に気仙沼にカフェ「K―port」をオープン。「人が楽しく集まる場所をつくりたい」との思いからだった。

 新型コロナウイルスの影響が出るまでは月に1回顔を出し、今でもほぼ毎日ファクスで店に直筆の手紙を寄せている。「徐々に復興支援という意識はなくなりましたね。次はどんな楽しいことしようかと。自分は結局俳優であり、エンターテイナーなんです」

 震災から10年。「10年という区切りは勝手に外野がつけたもの。“復興”という名でくくられると、そこには点数や正解というものが出てしまう。ただあの時の教訓や、震災を乗り越えたということを再確認する機会ではあるのかもしれない」

 東北で現地の人と交流する時間は、渡辺にとってホッと息をつける瞬間でもある。「気仙沼には大きな商業施設もできたんです。秋口には大きなお祭りをやりたいね」。そのまなざしは温かく、東北の未来を向いていた。(吉澤 塁)

 ◆渡辺 謙(わたなべ・けん)1959年(昭34)10月21日生まれ、新潟県出身の61歳。87年にNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」に主演。03年「ラストサムライ」でハリウッド映画デビュー。06年には「硫黄島からの手紙」でハリウッド映画初主演を務めた。27日にNHK総合の震災関連番組「音楽で心をひとつに~Music for Tomorrow~」に出演予定。1メートル84。血液型A。

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