さんま 師匠・笑福亭松之助さん偲ぶ会で軽妙トーク 芸名決まった際の秘話も披露

[ 2019年4月7日 18:38 ]

富士山をあしらった祭壇を前に父・笑福亭松之助さんを語る明石家のんき
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タレント・明石家さんま(63)は7日、大阪市内のホテルで開かれた師匠・笑福亭松之助さん(本名=明石徳三)を偲ぶ会に出席。中締めのあいさつに立ち、師匠との思い出、“さんま”と名付けられた際のエピソードなど、普段のバラエティーのように軽妙なトークで“さんま流”に故人を偲んだ。

 松之助さんは2月22日に老衰のため93歳で死去。松之助さんの長男で落語家の明石家のんき(51)が会後に取材対応し、さんまのあいさつについて話した。

 「自分が“さんま”と名付けられ“ハーッ”と聞き返した」という逸話を明かした。さらにさんまが入門当時、うめだ花月で松之助さんから「(曲がり)角(の店)に行って、半助(はんすけ)買うてこい」と命じられた笑い話を披露。半助とは松之助さんが食べたかった“鰻の頭”のこと。はんすけの意味が分からないさんまはカ角の店でなく角座へ「はんすけ師匠、いはりますか?」と呼びに行ったそうだ。もちろん、半助師匠は実在せず、平和ラッパ(75)から「君、芸名は半助になるで」と茶化された。この後、さんまは“はんすけ”というあだ名で呼ばれていたそうだが、さんまの実家がさんまの水産加工業を営んでいたため芸名は“さんま”に決定。「結局は魚かい、となって」と偲ぶ会は笑いに包まれた。

 昨年の11月末、医師から病状の悪化を伝えられ、さんまが見舞いに駆けつけたが、会わずに帰らされた。「単に会話したくなかっただけ」とのんき。その時、さんまは「偲ぶ会とか、葬式とかちゃんとせえよ。お前らのことはオレがちゃんとするから、何か困ったことがあったらすぐ言え。葬式代とか」とのんきに告げて帰京したそうだ。年が明けてから松之助さんは劇的に回復。医師が「新しい年号まで全然、大丈夫かも」とリハビリを計画しはじめた。その矢先の約1週間後に容態が急変。松之助さんは帰らぬ人となった。

 電話で松之助さんが死去したことを伝えられた際、さんまは「しゃあないな。苦しんでなかったならええわ」とだけ言ったそうだ。のんきは「父のことを悪く言う人はいませんでした。面倒見の良い人でした。自慢の父親でした」と偉大な父を振り返った。さんまの面倒見の良さは、師匠の遺志を受け継いでいるからに違いない。「三回忌ではなく7年後の生誕100年で何かやりたい」とのんきは2026年に盛大な会を開く考えを明かした。

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2019年4月7日のニュース