復興へのプレーボール~陸前高田市・高田高校野球部の1年~
恐れた分だけ強く咲け…津波に耐えた校舎裏の椿のように
あれから1年がたち、岩手県立高田高校にも鎮魂の日曜日が訪れた。校舎は津波で全壊し、生徒22人、教諭1人が犠牲になった厄災の3・11。あの日、野球部員は高台にある第2グラウンドから故郷が津波にのみ込まれる光景を目に焼き付けた。そのときから過酷な闘いが始まった。失ったものはあまりにも大きい。しかし、その代わりに「何か」を得ることもできた。そう言える強さを身につけた一年だった。昨年5月にスタートした「復興へのプレーボール~陸前高田市・高田高校の1年」は今後、随時掲載していきます。
黙とうを終えた2年生の内野手、高橋優太はこう言って、晴れやかに笑った。
「これで被災者は終わりです」
午後2時46分。佐々木明志監督(48)ら指導者に加え、高橋優太、2年生の外野手、梅田隼人、そしてOB数人が高田高校校舎前に集まった。冷たい空気に乗った線香の煙が、青空に上っていく。防災サイレンが鳴った。広田湾に停泊していた船舶の汽笛が響いた。1分間の鎮魂の祈り。佐々木監督は「どこかで区切りはつけないとね」と言い「うん。来てよかったですよ」と自らに言い聞かせるように続けた。
この日、野球部の全体練習は行われなかった。全員で集まって練習するという選択肢も当初はあった。しかし、佐々木監督は迷った末に各自の意思で3・11を過ごすように指示した。「親戚まで入れれば全員が近しい人を失っているから」だ。前日のミーティング。佐々木監督はどこで午後2時46分を迎えるかは選手に任せることを伝えた。
「これからまた頑張ろうという気持ちになりました。1年たったし、いつまでも甘えているわけにはいかない」と梅田は言った。高橋も「後ろばっかり向いていても何もならねえし」と続けた。しかし、完全に吹っ切れたわけではない。心の中にはあの忌まわしい出来事の記憶が残っている。
昨年3月11日。津波が陸前高田市を襲った際、野球部員は校舎裏の高台にあった第2グラウンドで練習していた。続々と避難してくる近隣住民。高橋らは老人を背負い、急坂を駆け上がった。あれから1年がたち、地元紙から依頼があった。人命を救った高橋ら選手3人に当時の模様を聞きたいというのだ。高橋は、3人一緒に取材を受けることを嫌がったという。当時の様子を思い出し、感情が高ぶってしまうのを恐れたのだろう。
もう被災者扱いされたくないと言い切る一方、震災はみんなを苦しめている。肉親を失った者がいる。自宅を失った者がいる。仕事を失った親を持つ部員も多い。津波が街をのみ込む様子を息をのんで見詰めた第2グラウンドには仮設住宅がびっしりと建ち並んだ。しかし、だ。いつまでも逆境に甘んじているわけにはいかない。強気な言葉が口を突くようになったのはその証明だ。1年。痛みを癒やすのに十分な時間ではないが、震災から何かを得た人たちは確実に存在する。
たとえば。歩むべき道を探し当てた者がいる。2年生の三塁手、吉田匡は都市計画や住環境整備、防災について学ぶため、大学に進むことを決めた。震災がきっかけだった。知識と技術を得て、故郷に帰ってくることが人生の目標だ。「震災の前は、将来についてあまり考えていなかった。でも…」
震災直後の陸前高田市街地は瓦礫(がれき)の荒野だった。現在ではその量こそ減ったが、荒涼としたさら地のあちこちに瓦礫の山が残る。その光景を見ながら第2グラウンドに通った。故郷を再生させるためには何ができるのか。今の自分では何もできない。ならば、学ばなくてはならない。吉田はそう思うようになった。「自然とそう考えるようになった。そうするのが一番いいな、と。昔と同じというか、昔よりもいい街にしたい」と吉田は言う。進みたい大学も心の中で決めている。
たとえば。命の大切さをあらためて知った者もいる。3月1日、高田高校卒業式。卒業生は、犠牲になった同級生12人の遺影を持って入場。卒業証書授与では、その12人の名前も読み上げられた。しかし、その呼びかけに応える者はいなかった。代わりに、亡くなった生徒たちの親族らのすすり泣きが体育館に響き渡った。普段は能弁な2年生の投手、岩渕恒は「いろいろ考えさせられました。自分はこれでいいのか、と」と振り返ったが、言葉は続かなかった。
誰もが認める素質の持ち主だが、現在は持病とも言える腰痛に悩み、練習をしたくてもできない日々が続く。「自分は生かさせてもらって、野球も続けられている。それなのにこれではヤバいっす」。生きていることのありがたさ。それを痛感したからこそ、今の自分が歯がゆい。
たとえば。生きる指針を定めた人もいる。伊藤新(あらた)コーチ(40)は高田高校の校務員を務める野球部OBだ。人生のほぼ半分をこのユニホームで過ごしてきた。歴代の監督は代わっても、コーチの伊藤は長く野球部を見続けてきた。しかし、ここ数年は迷いがあった。「自分が(コーチとして)いることで、世代交代できないでいるのかもしれない、と。それなら別の学校に行ってもいいか、なんて考えていたんです」
そんな思いを抱いていた3月11日。震災が起こった。その後、全国から差し伸べられた支援の数々。その中で、昭和46年(1971年)生まれの高校野球指導者らを中心にした親睦グループ「46会」(よんろくかい)の存在と出合った。メンバーには全国の強豪校の指導者も多くいる。広がる人脈。野球談議の中で貴重な情報を得る。彼らと交流することで、伊藤コーチの世界が広がった。
「今は腹が据わりましたね。このチームを強くしたい。ずっと見続けていきたい。震災後、生徒たちと決めたのです。これまで以上に、勝ちにこだわっていく」。友人たちとの出会いが自信をもたらしたのだ。出会いのきっかけは震災だった。それを伊藤コーチは前向きに捉えている。
佐々木監督、伊藤コーチらは黙とうを終えると、残骸と化した校舎に入った。階段を上り、3階建ての屋根の上にある踊り場に出る。高橋と梅田にそんな場所があることを教えられたのだ。そこからはかつての陸前高田市街地と、その向こうにある広田湾の青い海が一望できる。津波で根こそぎにされたかつての市街地には思い出が詰まっている。住民一人一人に掛け替えのない思い出が詰まっている。
「こんな場所があるなんて知らなかったなあ」と佐々木監督が言った。伊藤コーチは「自分は授業中、2階の教室から海ばっかり眺めてました」と返した。たわいのない話は続く。行きつけだった居酒屋。誰かの噂話。3月の冷たい風が吹き付ける踊り場で、笑顔で1年前までの陸前高田市を語り合った。
「あれ、こんなところに!」。広田湾とは反対側に目をやった伊藤コーチが見つけたのは校舎と高台の間にある椿(つばき)の赤い花だった。津波にのみ込まれ、周囲の木々は枯れかけて、茶色に変色している。しかし、その椿だけは別だった。力強く美しい花を咲かせていた。
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