復興へのプレーボール~陸前高田市・高田高校野球部の1年~

佐々木監督は野球に関しては冷徹なリアリスト

[ 2011年7月17日 06:00 ]

佐々木監督の教え子・佐藤達也

 20年前、私は水沢高校を率いていた佐々木監督の指導を受けた。当時の縁があり、本紙で高田高校の挑戦を追う連載を受けていただいた。

 監督は野球に関しては冷徹なリアリストだった。

 私の同期に二塁を守る男がいた。堅実な守備でレギュラーを勝ち取った努力家だった。ところが3年春の大会で、彼は敗北につながる2つの失策をしてしまう。彼はすぐにレギュラーを外された。ポジションを奪ったのは強打の2年生だった。その打撃は、夏の大会で勝利をもたらした。一方、野球を離れれば監督は快活な兄貴分だった。野球に対するブレない厳しさを恐れつつ、みんな監督が大好きだった。

 先日、水沢野球部OBの有志で監督へのカンパが行われた。私の代の幹事は二塁手の彼だった。また今回の連載を一番喜んでいたのも彼だった。

 高田の短い夏が終わった。監督は3年生を3人ベンチから外すなど修羅の采配を見せた。選手も力を出し尽くした。しかし勝利はあと少しだけその手の先にあった。

 監督はきょうのミーティングで何を語るのだろう。グラウンドを離れた時のあの優しい声が聞こえてくる気がした。 (スポーツニッポン新聞社経理部・佐藤 達也)

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