復興へのプレーボール~陸前高田市・高田高校野球部の1年~

チーム支える千葉茜マネジャー 兄は自衛隊で地元を支える

[ 2012年2月23日 06:00 ]

<復興へのプレーボール>愛犬チョコと自宅のりんご園を散歩する千葉茜マネジャーと高田高野球部OBの兄・暁さん

 花も恥じらう女子高生生活を、野球にささげる女の子がいる。高田高校野球部の千葉茜マネジャー(2年)は、後輩の1年生マネジャー2人とともに部員たちを支える。兄・暁(あかつき)さん(20)も高田高校野球部OBで、現在は自衛隊員。東日本大震災の際は、変わり果てた故郷の最前線で救命活動に従事した。時に妹として兄に甘え、時に頼もしい裏方として練習を見守る17歳の少女。暖かな春はすぐそこに。その日を心待ちに、部員たちと歩む日々は続く。

 練習が始まる30分前にはグラウンドにいることを、千葉は自分で決めている。「誰かに言われたわけではないです。自分の中のルールです」。休日の午前8時30分開始の練習ならば、8時前にはその場所に。放課後、バスで室内練習場に向かう際は、誰よりも早くバスの前に。部員がすんなりと練習を始められるよう、小柄な体はクルクルとよく動く。

 部員のことなら、大抵は知っている。「(吉田)匡は雑学王です。ていうか、マニアックなんです。(吉田)心之介くんはとっても紳士。でも、昔は四重人格だったんですよ。(菅野)海(ひろ)はね、女子にすごーく人気があるのに、男子と遊んでいる方が好きみたい。もったいないですよね。うふふ」。毎日一緒にいれば、大体のことは分かる。毎日見ているから、少しの変化も気づく。

 高田高校でマネジャーになることは、幼い頃から決めていた。それは、4学年上の兄・暁さんの影響が大きい。暁さんは佐々木明志(あきし)監督(48)が高田高校に赴任した6年前、野球部に入部。3年生の夏は、強打を誇る「代打の切り札」として活躍した。 卒業後は自衛隊に入隊し、岩手県北西部の滝沢村にある岩手駐屯地第9特科連隊に所属する。同駐屯地は約1500人の隊員が勤務し、そのうち8割が県内出身者。暁さんは郷土の安全を守るため、日々訓練に励む。

 3月11日。暁さんは人命救助のため、自衛隊員として陸前高田市に向かった。一刻も早い現地への到着を目指したが、道は各地で寸断。普段から災害対策を入念に行う自衛隊でさえ、予想をはるかに超えた大災害だった。「所属する部隊によって派遣先は違いました。自分が生まれ育った土地に向かったのは、運命というか…」。そこで言葉を区切る。「正直に言えば、知っている方のご遺体があるのではないかと怖かった。なるべく顔を見ないようにしていました」。当時まだ19歳。それは、あまりにも過酷な任務だった。

 暁さんが非番で実家に戻る週末が、千葉は待ち遠しい。練習を終えた妹を兄が迎えに行く。仕事を持つ母・三和子さん(56)が用意したカレーを、兄妹で温めて食べる。車で約30分離れた大船渡市で借りたDVDを一緒に見る。そのうち睡魔が訪れ、いつの間にか寝てしまう。荒涼とした故郷で懸命に生きる人々の、当たり前でいとおしい日常がここにもある。

 千葉は、色白の頬を寒さで赤く染め、練習を見つめる。どんなに指先が冷えても、決して手袋は使わない。それも自分の中のルールだ。指導する佐々木監督の動きを気にかけ、折り畳み椅子を用意する。立て付けの悪い部室の引き戸を、足でグイッと押し開けたこともある。「辞めたいと思ったこと?うーん、それはまあ、何度かは」。でも、陰の存在が光を一層美しくすると信じている。だから、ずっとここにいる。どうか、来るべき夏に彼らが最高の光を放てますように。それだけをただ、願っている。

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