復興へのプレーボール~陸前高田市・高田高校野球部の1年~

震災から7カ月…僕たちの“フィールド・オブ・ドリームス”

[ 2011年10月13日 06:00 ]

夕暮れのグラウンドに土を入れる高田高校ナイン

 「フィールド・オブ・ドリームス」は僕らが造っていく。高田高校野球部が12日、自前のグラウンド造りを始めた。現在は、3年前に廃校になった旧大船渡農が仮校舎。同校グラウンドは復旧支援の自衛隊車両駐車場となり、撤退後も使用できない状態が続いていた。各地のグラウンドを転々として練習場を確保してきたナインだが岩手県の支援も得て、今月中には練習ができる状態となる見込み。はるかなる甲子園を目指す長い旅。その拠点が完成する日は近い。

 夕暮れが迫るグラウンド。気温は12度まで下がり、周辺の松林は風にざわざわと鳴る。物悲しい東北の秋。しかし、ナインは明るかった。「甲子園の土を持ってくればいいっぺさ」「金がかかりすぎるべよ。ギャハハ」

 みんなが笑顔だった。この日、搬入された約10トンの黒土は盛岡にある岩手県営球場と同じ土。内野部分にスコップでまんべんなくまく。トンボをかけてならす。別の部員たちはブルペンのマウンドを造っている。雑草を抜き、小石を拾った。危なっかしい腰つきで一輪車で操る選手もいる。

 「自分たちで造るグラウンドだから。楽しいっスよ」と内野手の川村拓也は言った。一塁手と捕手を務める高橋優太、正捕手で4番を打つ十文字瞭太(いずれも2年)と冗談を言いながら、黒土と格闘した。自分たちで造る新グラウンド。約3時間の作業の後に、内野部分は黒く覆われ、「空き地」は「球場」に近くなった。ブルペンもほぼ完成した。

 高田高校は津波で校舎を失った。野球部グラウンドには仮設住宅がびっしりと建ち並ぶ。震災後、主に練習していた住田町営球場は仮校舎の旧大船渡農から車で片道40分かかる。移動するだけで時間をロスし、疲労は募った。旧大船渡農のグラウンドは、震災後は7月20日まで自衛隊車両の駐車場だった。

 100台以上の車両がグラウンドを埋め尽くし、砂ぼこりを抑えるために小石を敷いた。被災者支援のために自衛隊の果たした貢献は計り知れないが、スポーツができる環境ではなくなっていた。加えて「グラウンドを使わなくなると土は死ぬ」(伊藤新=あらた=コーチ)のだ。3年以上使用していなかったグラウンドのコンディションが悪いのも当然だった。

 岩手県からの支援で土が提供されたが十分な量とは言えない。本来は地表を1メートルほど掘り返して小石を埋めるなどの作業が必要だ。しかし、現状では地表に黒土をまくことしかできない。数年後には移転する方針だけに、県も多額の予算をつけることは難しいのだ。

 それでも佐々木明志監督(48)は言った。「自分たちで(球場造りを)やれて、選手たちもうれしいでしょう。愛着も湧くでしょうしね。大きな一歩になりました」

 1989年、フィル・アルデン・ロビンソンが監督した映画「フィールド・オブ・ドリームス」ではケビン・コスナーが「それを造れば、彼が来る」の謎の声を聞き、小さな球場を造った。完成した時、周囲のトウモロコシ畑からシューレス・ジョー・ジャクソンらが現れた。野球ファンタジーの名作映画だ。

 高田高校野球部のフィールド・オブ・ドリームス。今月中の完成を目指す。そのとき、周囲の松林からは誰が現れるのだろう。

 ▽フィールド・オブ・ドリームス 1989年米作品。監督・脚本はフィル・アルデン・ロビンソン。主演のケビン・コスナー扮するアイオワ州の農場主がある日「それを造れば、彼が来る」という不思議な声を聞く。周囲の反対を押し切り、野球場を造ると、伝説の名選手がトウモロコシ畑から現れる。それは、1919年、圧倒的有利と言われたワールドシリーズで敗れ、八百長を演じたとして永久追放になったシューレス・ジョー・ジャクソンらホワイトソックスの選手たちだった。主人公はその中に亡くなった「若き日の父親」を見つけ、キャッチボールをするという幻想的な作品。

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