復興へのプレーボール~陸前高田市・高田高校野球部の1年~

故郷で野球がしたい…思い支える“もう一人の父”

[ 2011年8月19日 06:00 ]

ノックを受ける吉田匡

 「もう一つの家族」が野球を続けさせてくれている。高田高校野球部・吉田匡(まさし)内野手(2年)は現在、小学校時代の恩師、田村雄喜さん(46)の自宅で生活をともにしている。津波で自宅を流され、一時は転校を余儀なくされそうになった。しかし、どうしても故郷と、故郷でする野球を捨てたくはなかった。離れて暮らす家族と、一緒に暮らす家族。必死で白球を追う吉田を守っている。

 電話越しの優しい声は「おお、いいぞ。でもな、匡。自分のことは自分でやれよ」だった。4月中旬。吉田は田村さんの自宅に同居したいという希望を伝えた。それはあっさりとかなえられた。

 陸前高田市内にあった吉田の自宅は津波で流された。家族はさまざまな事情で、岩手県内陸部への引っ越しを余儀なくされた。高田高校の仮校舎は大船渡市内にある旧大船渡農。内陸部から通学するのは無理だ。身を寄せる親戚もない。転校するしか選択肢はないように思えた。

 思いついたのは、陸前高田市立長部小学校6年時の担任だった田村さんの自宅に住まわせてもらうことだった。「どうしても高田で野球をしたかったから…」。小学校卒業後も、日常的に連絡を取り合ってきたわけではない。それだけ思い詰めていた。

 田村さんには子供がいない。吉田の母親から最初に「息子を預かってほしい」と依頼された時は「冗談だろうと思った」という。しかし窮状は十分すぎるほど分かった。その後、吉田と電話で話し、高田高校野球部への強い愛着を感じた。「卒業するまでは預かります。教え子が頼ってきた。教師冥利(みょうり)に尽きます」

 自宅は大船渡市。吉田の部屋は離れだ。30年ほど前に、学生向けの下宿を営んでいた際に使っていた部屋だ。田村さんは釜石市立栗林小学校の3、4年生45人の担任。仕事は多忙だが朝食と夕食は一緒に取る。吉田が遠征に出かける際などは妻が弁当を作る。

 吉田は家事を手伝う。飼い犬の世話をし、自分の衣類を洗濯し、食器を運ぶ。そして野球をする。離れて暮らす両親は、食料品を送ってくれるなど精いっぱいのことはしてくれているが、生活費までは支えきれない。

 自前のグラウンドを失った高田高校野球部は近隣のグラウンドを借りて練習をすることが多い。終了が夜になることも度々だ。そんな日は田村さんが車で迎えに来る。車中ではがれきの街と化した陸前高田市の話題になることが多い。

 「建物が何もないから、今まで(建物に隠れて)見えなかったところも見通せるようになった。それがショックのようで」と田村さんは言った。吉田の将来の夢は故郷の復興に役立つ仕事に就くことだ。そのためには何をすべきかをアドバイスし、吉田は聞く。生活をともにし、会話を積み重ねて約4カ月がたった。

 7月16日の岩手大会初戦、盛岡工戦では背番号5を与えられながら出場機会がなかった吉田は課題の一つである守備力強化に励んでいる。佐々木明志(あきし)監督のノックを連日、受ける。

 夏休みの宿題はぎりぎりだったがきちんと仕上げた。得意な教科は日本史、苦手は数学だ。プロ野球選手の打撃フォームの物まねが大の得意だ。

 照れ屋の吉田は今も田村さんを「先生」と呼んでいる。もう一人の父親になった田村さんは「元気な高校生が一緒だと毎日が楽しいですよ」と言って、笑った。

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