復興へのプレーボール~陸前高田市・高田高校野球部の1年~

二重に特別 指揮官の夏 県大会で「親子対決」も

[ 2011年6月13日 06:00 ]

桐生商の選手たちに見送られバスに乗り込む高田ナイン

 東日本大震災で甚大な被害を受けた陸前高田市の高田高校野球部は12日、群馬県桐生市での遠征を終えて地元・岩手に戻った。今夏の岩手大会開幕まで残り約1カ月。佐々木明志(あきし)監督(48)は遠征の経験をチーム強化に役立てる一方で、水沢のエースを務める長男・大志(だいし)君(3年)との対戦実現へ淡い期待を抱いている。

 高田高校にとって、かけがえのない貴重な経験となった2泊3日の桐生遠征。体の違いや技術の高さ。そうした野球で受けた刺激のほか、桐生商ナインとの触れあいや周囲からの手厚い歓迎など、肌で感じたことをどう野球に反映させるか。再び岩手に戻った佐々木監督は、夏の大会に向けて思案を巡らせた。

 「本当に貴重な経験をさせてもらいました。この経験を夏の大会で生かさないと。この子たちは潜在能力はあると思う。後はそれをいかに引き出すかですね」

 震災から3カ月。佐々木監督自身もここまで手探りで進んできた。3月11日の震災当日は、盛岡市内で行われた会議に出席していたため陸前高田市から離れていた。「学校にいなかったので津波は見ていないんです」。翌日、車と徒歩で1日がかりで陸前高田市に戻ったが、その惨状に声も出なかった。「生徒に何と声をかけたらいいのか。最初は何もかけられなかったですね」。監督人生25年目にして初めて味わう戸惑いだった。

 高校野球の監督になろうと決めたのは高2夏。佐々木監督が在籍していた水沢は、80年夏の岩手大会で決勝まで勝ち進んだ。しかし決勝で欠端光則(横浜スカウト)擁する福岡に1―2で惜敗。翌3年夏も甲子園出場の夢は果たせなかった。「何か不完全燃焼だった。あそこでもし甲子園に行っていたら監督になっていなかったですね」。その後、現役で早大に進み母校・水沢で指導者として第一歩を踏み出した。

 震災で壊滅的な被害を受けたことに加え、佐々木監督には今夏が特別な大会となる理由がある。長男の大志君(3年)の存在だ。水沢でエースを務める愛息は、春季県大会で準優勝した県内屈指の左腕。30日の組み合わせ抽選次第では親子対決の可能性もある。「正直やりたくないですね。監督の立場としてはやっかいな投手だと思います。上の方まで勝ち進んで当たるなら本望ですけど」

 前任地の盛岡四時代から続いている単身生活は9年目を迎える。その間、大志君と長女・夏帆さん(中3)の子育てなど家庭のことは妻・辰子(ときこ)さん(46)に任せてきた。たまに家に帰ったときに長男と野球談議をすることはあるが、野球の手ほどきをしたことはほとんどない。「仮に対戦するとなったら、どんな気持ちになるんでしょうかね」と複雑な表情を浮かべた。

 被災した高校の監督として。そして父親として――。あと1カ月。特別な夏は、すぐそこまで迫っている。 (白鳥 健太郎)

続きを表示

バックナンバー

もっと見る