【巨人1位・浅野翔吾物語(4)】チームプレーに徹する 生意気で子どもっぽさの残る下級生時代から成長

[ 2022年10月24日 12:00 ]

<近江・高松商>3回1死一塁、高松商・浅野は同点の中越え2ランを放ちガッツポーズ(撮影・井垣 忠夫)
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 浅野翔吾は少年時代から突出していた才能を高松商で一気に開花させた。1年夏から背番号19でいきなり中軸の一角として3番を任され、コロナ下で開催された県独自大会で準優勝。同秋の四国大会1回戦では高知・森木大智(現阪神)から右に左に3安打を浴びせて攻略した。

 当時を「めっちゃ生意気だったと思います」と振り返る。無理もない。ただでさえ、スーパー1年生と周囲からもてはやされ、森木のように打席で相手投手が真正面から勝負してくれれば結果を残せる。名前が早くから全国へ知れわたり、当然、試合のたびの警戒された。厳しい球が増え、四死球にストレスがたまり、ボール球に手を出して凡退すれば、顔や態度に出すことも多かった。

 転機は2年春の香川大会だった。打席を消化不良で終え、戻ったベンチでも態度に出した。長尾健司監督が激怒した。

 「俺もみんな(チームメート)もチームが勝つことだけを考えている。いつまでも引きずっているヤツはいらない!」

 ハッとした。その瞬間は「みんなの前で怒られて恥ずかしい」という思いを抱いただけだったが、あとから自分を見つめ直した。

 「少したってから、自分は何のために野球をやっているのかと考えました。打ちたい。プロに行きたい。でもその前に、みんなとこのチームで勝ちたい」

 試合後の報道対応での言葉に変化が表れたのも、この頃からだ。2年夏には初めて甲子園の土を踏み、3回戦では優勝した智弁和歌山の中西聖輝(現青学大)から聖地初の本塁打となる2ランを放った。試合には敗れ、3年生の最後を思って彼らよりも泣きじゃくる姿に、成長の跡が見られた。

 新チームから主将に就任したこと、1番打者を任されたことも、チームプレーや四死球の重要性をより染み込ませた。「次も打ちたい」から「1番打者として出塁してチャンスをつくりたい」へ、決まり文句も変わっていった。顔や態度に出すこともなくなり“子供っぽさ”が抜ければ、もう弱点はない。

 今夏の甲子園大会では全3方向に3発、近江との準々決勝では1死一、二塁からの申告敬遠など、数々の伝説を残した。長尾監督をして「もう教えることはない。上のレベル(プロ)で教わってください」と言わしめた。

 8強入りした夏の甲子園後、U18日本代表に選ばれ、1次ラウンドのメキシコ戦で結果的にチーム唯一となった本塁打を放った後も「出塁してチャンスをつくるのが自分の仕事」と浮かれる様子はまったくなかった。大阪桐蔭・松尾汐恩(DeNAドラフト1位)には自ら打撃のアドバイスを求めた。

 チームプレーに徹することのできる精神面の成長こそが高校通算68本塁打を積み上げた原動力だ。技術面でも精神面でもさらなる成長が求められるプロの世界。ドラフト指名の会見で語った「勇気や夢を与えられる選手」になるため、これからも貪欲に多くのことを吸収していくに違いない。(終わり)

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2022年10月24日のニュース