バレ「MY BOY」56号村上に祝福エール 日本記録60号「ぜひ塗り替えて」WBCでの再会心待ち

[ 2022年10月5日 05:10 ]

ヤクルト・村上宗隆(左)とバレンティン
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 ヤクルトなどで活躍し、今季はメキシカンリーグのサルティーヨでプレーしたウラディミール・バレンティン外野手(38)が本紙の取材に応じ、村上の日本選手最多56号と最年少3冠王を祝福した。13年にプロ野球記録のシーズン60本を残した大砲は、来季以降に自身の記録を更新することを期待。来年3月のWBCにオランダ代表で出場を目指しており、対戦相手としての再会を待ち望んだ。

 日本選手最多となる56号に史上最年少3冠王、おめでとう。素晴らしい記録だ。これだけのホームランはなかなか打てるものではない。元チームメートとして誇りに思う。

 18、19年のチームメート時代は「MY BOY」と呼んでいた。18、19歳だったからね。でも、既に本物のパワーがあったし、選手としても人間としても、とても好感を持てた。だから「ウブロ」の高級腕時計で本塁打の賭けをしたんだ。見事に36本も打ったから時計を贈った。その時から、私の記録を破る日本人がいるとしたらそれは村上だと感じていた。

 いつの日か私の60本という記録も破ってほしい。他の誰も抜けないような凄い記録をつくってほしいんだ。65本とか、70本とかね。私は日本プロ野球記録を保持していて、とても名誉に思っているけど、外国人だ。日本人である村上にぜひ塗り替えてもらいたい。

 当時からパワーもバランスもあっていい打者になると感じたけど、未熟な部分もあった。三振が多いから、打撃コーチが頭を抱えていたのを覚えている。でも私は本人にアドバイスしたんだ。心配するな。パワーヒッターなんだから、三振もする。暗くならずに、試合を楽しめと。経験を積み1軍に慣れてくれば結果はついてくると。その通りになった。

 技術的にはもう既にメジャーでプレーできるレベルだ。必要なのは、162試合プレーする体をつくること。日本のように休みはなく、長距離移動も多いし、疲労が蓄積していく。耐久力、スタミナ含め、より強い体をつくっておかないといけない。ジムに通わないといけないな。それさえやっておけばメジャーでも成功できる。

 私たちは本当にいい友人になったから、ソフトバンクに移っても、話していた。コロナのパンデミックの時は、インスタグラムでコラボ配信もした。今年は残念ながら、映像で村上のプレーを見る機会はなかった。私はメキシカンリーグでプレーしていたからね。その後はチームに属さず、自由な時間を楽しんでいた。7月は子供が夏休みだったから、バケーションでパリに行ってきたんだ。

 今後はドミニカ共和国のウインターリーグでプレーして、来年1月にはキュラソー島のチームでカリビアンシリーズにも出るつもりだ。その後はオランダ代表でWBCにも出る。まだパワーもあるし、プレーできると思う。台湾で勝ち上がれたら次のステージは日本。フィールドでMY BOYに再会したいね。

 ◇ウラディミール・バレンティン 1984年7月2日生まれ、オランダ領アンティル(現キュラソー)出身の38歳。00年にマリナーズと契約し、レッズとの2球団でメジャー通算15本塁打。ヤクルトでは日本記録のシーズン60本塁打を放った13年にMVPを受賞。本塁打王3度、打点王1度、最高出塁率2度。20年からはソフトバンクでプレーし、昨季限りで退団。今季はメキシカンリーグのサルティーヨでプレーした。オランダ代表として04年アテネ五輪、13、17年WBCに出場。1メートル85、100キロ。右投げ右打ち。

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2022年10月5日のニュース