ポニーリーグで子供たちの夢支援を…大谷を支えた広報マン・青木走野氏の挑戦

[ 2020年5月7日 05:00 ]

ポニーリーグの広報として新たな夢を追いかける青木氏
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 昨年末まで日本ハムで広報兼通訳を務めた青木走野氏(32)が3月から中学生の硬式野球「ポニーリーグ」の広報として働いている。米国やオーストラリアのリーグで外野手としてプレーした経験や英語力を生かし、「ポニーリーグ」と世界の懸け橋へ。青木氏の奮闘ぶりに迫った。(取材・柳原 直之)

 丸の内のオフィス街。青木氏は新しい仕事場に移り、再び広報として歩み始めた。

 「北海道で選手、スタッフ、メディア、ファンの方々など皆さま方の人生を共有させてもらったことは財産。次は子供たちの成長と夢を追いかける、きっかけをつくる側になりたいと思いました」

 青木氏は13年に広報兼通訳として日本ハム入りし、いきなり注目新人だった大谷(現エンゼルス)の担当広報を任された。メジャー移籍の17年末まで二人三脚で歩み、「試合中に(中継用の)コメントをもらいにいくのも広報の役目でした」。大谷はエ軍移籍後に水原通訳とのコンビが定着しているが、当時、常に隣にいたのは青木氏だった。16年はチームスローガン「爆(は)ぜる」を考案し、リーグ優勝&日本一をアシストしたアイデアマンとしても知られた。

 そんな青木氏が今春から働くポニーリーグは国内でリトルシニア、ボーイズリーグに比べるとまだメジャー組織とは呼べないが、米国ではメジャーリーガーの約7割のルーツとなる最大組織として知られる。現在はこれまでの広報経験と得意の英語を生かし、主に米国やアジア・オセアニア地域の各団体との事務折衝と広報活動が中心。「各国の野球連盟の方と情報交換ができるので、凄くやりがいがあります」と充実の日々を送っている。

 野球人口減少が叫ばれる中、ポニーリーグの選手数は年々増加。大会は全てリーグ戦で、スタメンに限り、一度ベンチに退いても再出場できる「リエントリー」というルールを採用するなど、できるだけ試合経験を積むという独自の方針が評判を集めている。世界的なコロナ禍の影響を受け、今春の全日本選抜大会やアジアチャンピオンシップ(フィリピン)などは軒並み中止になったが、青木氏は日本ハム監督で小平ポニーズ出身の栗山監督にSNS用にPRコメントを提供してもらうなど、積極的に広報業務に取り組んでいる。

 5年間、大谷とともに過ごして気付かされたことがある。「何かにたけている人は夢中になって一つのことに取り組んでいる。翔平君も純粋に野球がうまくなりたいという気持ちしかない」。最も驚いたのは16年、クリスマスイブの鎌ケ谷の室内練習場で、一人で打撃練習をする大谷を見た時だ。リーグ優勝&日本一を達成した年にもかかわらず、野球に全てを注ぐ姿に尊敬の念さえ抱いた。

 青木氏にはオーストラリア留学の経験を生かした、ポニーリーガーの海外留学や将来的な海外インターンも支援したいという夢がある。「子供たちには学校だけが一つの世界じゃないということを知ってほしい。海外の景色を見て、自分の悩みが小さいことだと気づき、夢が膨らむかもしれない。そういうきっかけづくりをしたい」。大谷のように夢中になって一本の道を突き進む。

 ◆青木 走野(あおき・そうや)1987年(昭62)6月30日生まれ、神奈川県出身の32歳。17歳でオーストラリアへ野球留学。その後、米国サマーリーグに挑戦し、帰国後は四国アイランドリーグplus・高知でプレー。高知の球団職員を経て、13~19年に日本ハムの広報兼通訳を務めた。兄は元広島・智史(現立正大コーチ)。

 ≪栗山監督、ボンズ氏らもOB≫プロ野球界の主なポニーリーグOBは日本ハムの栗山英樹監督(小平ポニーズ)、楽天の石井一久GM(北千葉ポニー)、前巨人監督の高橋由伸氏(千葉ポニー)ら。現役の西武・今井(鹿沼ポニー)、オリックスのドラフト1位・宮城(宜野湾ポニーズ)らもOBで、協会の現理事長は元ヤクルト、巨人、阪神の広澤克実氏(本紙評論家)。メジャーも通算762本塁打のバリー・ボンズ氏、同696本塁打のアレックス・ロドリゲス氏らそうそうたる面々が並ぶ。

 ▽ポニーリーグ 1950年に米ペンシルベニア州ワシントンで誕生した少年野球リーグ。日本では75年5月に協会が発足した。現在は30カ国でリーグが結成され、毎年世界選手権が開かれている。英語で子馬を意味する「PONY(ポニー)」には「Protect Our Nation’s Youth」(我々の国家の宝である青少年の成長を守ろう)という理念が込められている。2歳ごとにリーグが分かれており、日本では「ブロンコ」(11、12歳)、「ポニー」(13、14歳)、「コルト」(15、16歳)の3カテゴリー。

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