【タテジマへの道】藤浪晋太郎編<上>卒業文集に記した「僕にとっての野球」

[ 2020年5月7日 15:00 ]

藤浪が小学生の時に書いた文集には、しっかりと「阪神TIGERS」の名も書き込まれている

 スポニチ阪神担当は長年、その秋にドラフト指名されたルーキーたちの生い立ちを振り返る新人連載を執筆してきた。今、甲子園で躍動する若虎たちは、どのような道を歩んでタテジマに袖を通したのか。新型コロナウイルス感染拡大の影響で自宅で過ごす時間が増えたファンへ向けて、過去に掲載した数々の連載を「タテジマへの道」と題して復刻配信。第13回は12年ドラフトで1位指名された藤浪晋太郎編を2日連続で配信する。

 阪神・和田監督が当たりクジを持った右手を高々と突き上げると、大阪桐蔭の校内会見場にいた父・晋(すすむ)さん(49)は目をうるませ、母・明美さん(48)は静かに息子を見守った。

 「去年の今頃、近畿大会で天理に負けた時のことを思い出しました。あれからここまできたのか、と。1日も長くこの世界で頑張ってほしい」

 厳格な父はプロ入り後の厳しさを心配し、柔和な母は「(指名球団は)遠かったら仕方ないと思っていました。近くの阪神さんなので、試合も見に行きやすいですね」とホオを緩めた。

 そして「阪神・藤浪」誕生の瞬間、明美さんの脳裏には、愛息が誕生した時から今までの“歩み”が、走馬灯のように駆け巡っていた。

 1994年4月12日午後12時53分に産声を上げた。身長53・2センチ、体重3620グラム。生まれた時からビッグサイズだった。晋さんの一文字を取って「晋太郎」と名付けられた。1メートル85と大柄な父のDNAを色濃く受け継いだのだろう。だが、ここまで大きくなるとは、想像できなかった。生後1カ月で58・7センチ、5250グラム。3カ月で69・5センチ、8100グラム。「お医者さんも“大きいですね”とびっくりされていましたね」。母子手帳をめくり、明美さんは思い出した。

 5歳で1メートル24。竹城台東小入学時は1メートル40近かった。最新の学校保険統計調査(文部科学省)による小学5年生の全国平均身長1メートル38・8を、1年生の入学時ですでに上回っていた。「6年生の運動会で走っていたら、“なんで中学生が走っているんや”という声が聞こえたことを覚えています」。小学卒業時で1メートル80、中学卒業時には1メートル95になっていた。

 身体面では規格外の晋太郎。とはいえ小学生の頃はごく普通の「野球少年」に過ぎなかった。プロ野球は「夢」だった。「高学年になると野球の鉄則に気づいた。野球はチームスポーツだという事。(中略)みんなで協力して勝つと言う事、それに気づいたので、キャプテンとしてチームをまとめようとがんばった」―。「僕にとっての『野球』」と題した卒業文集からは、あどけない少年の横顔を垣間見ることができる。「僕は大人になっても野球を続けていたいと思う。将来はプロ野球選手になりたいです」と締めているが、それも野球少年の誰もが一度は抱く思いだった。

 そんな「夢」が具体的な「目標」へと変化したのは、中学3年の時だった。驚異的なペースで伸び続けた身長がようやく落ち着き、自分の体を徐々にコントロールできるようになると、周囲の見る目が変わってきた。8月にはAA世界野球選手権の日本代表として、台湾遠征。同世代のトップ選手たちとともに日の丸を背負うことで、刺激も受けた。その証拠に中学の卒業文集は小学校時のそれと違い、より明確なものとなった。「僕は高校へ行っても大好きな野球を続けます。そして東京の大学へ行ってプロになり日本を代表する投手になれるよう、これからも感謝の気持ちを忘れずに、日々努力していきたいです」―。晋太郎の中で具体的な目標設定ができ、「プロ」が現実味を帯び始めたのは、わずか3年前のことだった。

 史上7校目の甲子園春夏連覇、国体制覇の“全国3冠”を成し遂げ、ドラフト1位で阪神入り。今年1年の実績だけを並べると、まるで漫画に描かれるスーパースターのようだ。だが決して“野球エリート”の道を歩んできたわけではないのがわかる。その素顔は、驚くほど普通の少年なのだ。

 藤浪晋太郎の素顔とは―。母・明美さん(48)は「本当に普通の家の普通の子なんですよ」と首をかしげ、「親の私が言うのも何ですけど、どちらかというと優等生だと思いますよ」と照れ笑いを浮かべた。

 中学までは、学業最優先。「これからの時代は英語が必要」という母の方針で3歳から英会話教室に通い始め、最終的に英検準2級を取得した。本人は「聞き取りなら少しは」と謙そんするが、今年、韓国・ソウルで行われた18U世界野球選手権でも外国人選手と言葉を交わす晋太郎がいた。

 英語だけではない。中学時代は水、土、日曜のボーイズリーグの練習、火曜のスイミングスクール、木曜の英会話教室に加えて週1回、数学の塾にも通った。藤浪家には学校の定期試験で5教科計400点を下回ると、携帯電話禁止などのペナルティーが科される“ルール”が設けられていた。だが、2年生まではそれもすんなりクリア。「ずっと“野球だけではダメ”と言い続けてきましたから。3年生になってから野球の比重が大きくなってしまいましたけど」と明美さんは証言する。まさに文武両道の優等生だった。

 読書家でもある。中学生になった頃から、スイミング帰りに同じ商業施設内にあった書店に立ち寄るようになった。推理小説が好きで、お気に入りの作家は東野圭吾、山田悠介ら。今年5月には元巨人コーチ・故木村拓也さん(享年37)の由美子夫人が書いた「一生懸命―木村拓也 決してあなたを忘れない」(中央公論新社)の差し入れを母に頼むなど、寮生活となった高校でも読書を欠かさず。野球関連書籍にも目を通し、幅広い分野の知識を深めた。退寮時には段ボール1箱分の書籍を持ち帰っている。

 そして今も、新たな趣味に熱を上げている。父・晋(すすむ)さん(49)が若い頃に愛用したフォークギターをもらい受け、自室でかき鳴らしている。「なんでですかね? 私にもよく分かりませんけど、弾けるようになりたいみたいです」。母には理解不能な、年頃の“男心”も持ち合わせている。

 そんな晋太郎はもちろん、幼少期から運動神経も抜群。3歳で補助輪なしの自転車を乗りこなし、バランス感覚が必要なインラインスケートも軽快に滑った。体育の成績は小・中・高を通じてずっと満点。2歳から15歳まで続けたスイミングでは水泳検定1級も取得している。そんな晋太郎が野球を始めたのは、小学1年の時だった。(12年10月26、27日付掲載、あすに続く)


 ◆藤浪晋太郎(ふじなみ・しんたろう) 1994年(平6)4月12日、大阪府生まれの18歳。小学1年時に竹城台少年野球クラブで野球を始める。宮山台中では大阪泉北ボーイズに所属し2年時に全国大会出場、3年時には日本代表入り。大阪桐蔭では1年夏からベンチ入り。2年春からエース1メートル97、85キロ。右投げ右打ち。遠投は120メートル、50メートルは6秒5。握力は右70キロ、左75キロ。

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