釜石復興の光 甲子園1勝「21世紀対決」小豆島に勝った

[ 2016年3月22日 05:30 ]

<釜石・小豆島>21世紀枠同士の対決を制しセンバツ初勝利を挙げアルプスへ駆け出す釜石ナイン

第88回選抜高校野球大会1回戦 釜石2―1小豆島

(3月21日 甲子園)
 東北に勇気と感動をもたらした。1回戦3試合が行われ、3年ぶり2度目となった21世紀枠対決は釜石(岩手)が小豆島(香川)に2―1で競り勝った。釜石は20年ぶり2度目の出場で、春夏通じて甲子園初勝利。岩手勢は春通算10勝目となった。エースの岩間大投手(3年)が122球を投げ抜き、1失点完投。2011年の東日本大震災で被災して行方不明の母・成子さん(当時44)に白星を届けた。

 釜石ナインは会心の笑みを浮かべ、聖地に初めて校歌を響かせた。毎日練習してきた自慢の歌声。1失点完投で甲子園初勝利に導いたエース岩間は「ここで歌うことが夢だった。釜石の歴史をつくれたことを誇りに思います」と胸を張った。

 8回まで無失点。2―0の9回1死一塁から左前安打に失策が絡み、1点差に詰め寄られた。マウンド上で試合直前に「強気」と書いた帽子を見つめた。心の中で「お母さんが後ろについているから大丈夫」と言い聞かせ、後続を断った。7安打を浴びても最少失点に抑え、122球を投げ抜いた。「震災の苦難を乗り越えた。精神力では負けない」と力を込めた。

 小学6年時に起きた震災。学校の体育館で大きな揺れに襲われ、津波から逃れるために必死に高台へ走った。数日後に父や兄姉と再会。だが、津波に襲われた母・成子さんは見つからない。震災から2年間、仮設住宅で生活した。5年が過ぎた。母は行方不明のまま。悲しみを抱えながら野球に打ち込み、スタンドでは2年前に同校の主将だった兄・仁さん(19)が「母に見せてあげたい。弟の力になれば」と母の写真を掲げていた。

 佐々木偉彦監督は言う。「震災と野球とは関係ない。甲子園で大好きな野球を楽しんでほしい」。そのためにさまざまなサプライズを演出した。「ファンレターが届いてるぞ」。18日夜、部員に内緒でそれぞれの家族に書いてもらった手紙を渡した。さらに試合直前だ。パソコンで指揮官から各部員へのメッセージを文字で映し出す動画を見せた。「甲子園に来られたのは岩間のおかげ。背負いすぎずに野球を楽しめ」。感動した岩間は涙を流しながら登板に備え、4万2000人の大観衆の前で躍動した。

 学校には「鋼鉄の意志(はがねのこころ)」と記された20年前の出場記念碑が立つ。校歌の一節にもある校訓だ。今年の練習試合は9戦全敗だったが、その精神を岩間らナインが甲子園の大舞台で体現し、小豆島との21世紀枠対決を制した。同校OBでもある佐々木監督は「期待が大きくてつらい時期もあったが、選手には背負わせないようにした」と振り返った。

 震災後、21世紀枠での東北勢の勝利は初めて。岩間は「被災地の皆さんも勝ちを期待していたと思うのでうれしい」と言い「母親のおかげで今がある。恩返しができた。ありがとう、と伝えたい」と感謝した。次の目標は21世紀枠過去最高成績の4強だ。25日の滋賀学園との2回戦に向け、エースは「ガンガン強気に攻めたい」と腕をぶした。(青木 貴紀)

 ≪震災後東北勢初勝利≫21世紀枠で出場の釜石が初戦突破。東北勢の同枠での出場は、13年にいわき海星(福島)が遠軽と大会初の同枠対決で敗れて以来。11年の震災後は4校目の出場で初勝利となった。01年から導入された21世紀枠は、秋季都道府県大会で一定の成績を収め、かつ困難な条件を克服したり、他校の模範となるような戦力以外の特色を加味して選出。最高成績は01年宜野座と09年利府の4強。

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