横浜・渡辺監督甲子園通算50勝「選手が頑張った結果」

[ 2012年3月30日 06:00 ]

<聖光学院・横浜>試合終了後、笑顔の横浜・渡辺監督(右)と柳(右から2人目)

センバツ2回戦 横浜7-1聖光学院

(3月29日 甲子園)
 2回戦3試合が行われ、8強が出そろった。第2試合では横浜(神奈川)が今大会最多の17安打の猛攻で聖光学院(福島)を7―1で下し、6年ぶりのベスト8入り。今大会最年長の渡辺元智監督(67)が史上4人目となる甲子園通算50勝目(春23勝、夏27勝)を挙げた。通算勝利数の歴代1位は智弁和歌山・高嶋仁監督(65)の63勝。第3試合では関東一(東京)のエース・中村祐太投手(2年)が智弁学園(奈良)相手に2試合連続完投勝利を収めた。

 渡辺監督は、穏やかな表情で甲子園に流れる校歌を聴いていた。一塁側アルプスに勝利の報告を終えると、尾関主将からウイニングボールを手渡された。慣れ親しんだ球場内の通路を通り、お立ち台に上がった。

 「50勝?そのことよりも、選手が今まで見たことがないようなバッティングをしてくれた。自分のチームじゃないような気がした」

 27度目の出場で甲子園通算50勝。68年に24歳の若さで母校の監督に就任した当初は、この日が来ることは想像できなかった。グラウンドでの指導初日。血気盛んな選手から「顔を貸せや」と迫られた。「体を張ってやらなかったらやられていた」と振り返るほどの出発だった。「(野球部から)逃げないように」と、自宅に選手を住み込ませたこともある。昼夜を問わず、ノックの雨を降らせた。

 監督6年目の73年センバツで、永川英植(元ヤクルト)を擁して初出場初優勝。「1勝目は覚えていないね。その年に広島商業を破って優勝したことは覚えている」と感慨深く振り返った。98年には松坂大輔(レッドソックス)を柱に春夏連覇を達成した。04年には脳梗塞で倒れた。当時は59歳。横浜高校で同期だった小倉清一郎コーチらのサポートもあって大台に到達した。「選手が頑張った結果。そして小倉という参謀がいて、そういう仲間がいたからここまで来られたと思いますね」と感謝した。

 節目の1勝は、新チームになってから防御率0・15という聖光学院の右腕・岡野に対し、先発全員の今大会最多17安打を浴びせてもぎ取った。「(今回のチームは)これまで甲子園に出た中で一番弱い。でも、力を合わせた勝利はうれしい。高校野球らしい」。渡辺元智にとって甲子園とは。こんな問いには「本当にいい所。選手と若さを保てる。いろいろなことを吸収できる」としみじみ。名将が「53勝」に到達した時、春夏通じて6度目の頂点に立つ。

 ◆渡辺 元智(わたなべ・もとのり)1944年(昭19)11月3日、神奈川県生まれの67歳。横浜から神奈川大に進学したが、右肩の故障で野球を断念。65年に横浜のコーチに就任し、68年から監督。73年センバツで初優勝するなど、5度の全国制覇。98年には松坂(現レッドソックス)を擁し甲子園春夏連覇、明治神宮大会、国体の4冠を達成した。社会科教諭。

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