照ノ富士「笑える日が来ると思って」30場所ぶり2度目の賜杯!序二段転落のどん底から復活

[ 2020年8月3日 05:30 ]

大相撲7月場所千秋楽 ( 2020年8月2日    両国国技館 )

30場所ぶり優勝の喜びをかみしめるように天井を見上げる照ノ富士(撮影・西海健太郎)
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 単独トップで千秋楽を迎えた東前頭17枚目の照ノ富士(28=伊勢ケ浜部屋)が、1差で追っていた関脇・御嶽海を寄り切り、2015年夏場所以来、30場所ぶり2度目の優勝を決めた。両膝のケガなどで序二段まで番付を落としながら、そこからはい上がって再び輝きを放った。大関経験者の平幕優勝は1976年九州場所の魁傑以来2人目。幕尻優勝は00年春場所の貴闘力、今年初場所の徳勝龍に続き3人目となった。

 優勝を決めると何度も国技館の天井付近を見つめた。そこに飾ってあったのは23歳だった自身の優勝額。そこから30場所、5年2カ月がたった。「続けてきてよかったなと思う。いろいろあったけど、こうして笑える日が来ると思ってやってきた」。涙はなかったがさまざまな思いが28歳の脳裏を駆け巡った。

 前日に2敗目を喫し、千秋楽で敗れれば3人の決定戦にもつれ込む状況となったが、心が揺れ動くことはなかった。「昨日のことは昨日で終わり。今日は前向き、と思ってやった」。優勝のチャンスがあった御嶽海に対し、すぐに左上手を取ると、右もおっつけてから上手を引いた。外四つで挟み込むようにして出る完勝。国技館内に飾られる優勝額は32場所分のため、このままなら自身の額は来年の初場所で取り外されることになっていたが「なくなる前に飾りたい」という漠然とした夢を、幕内に復帰した場所でかなえた。

 前回の優勝は三役2場所目の関脇で成し遂げたもので「イケイケの時の優勝」だった。場所後に大関に昇進し、横綱候補とも呼ばれた。だが、両膝の負傷で16年からは苦しい土俵が続いた。追い打ちをかけるように糖尿病を患い、17年秋場所を最後に大関から転落した。「ケガだけだったら超えることができる。病気をやると自然とメンタルも落ちる」。師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱・旭富士)には引退を考えていることを伝えたが、「まずは体を治してから」と引き留められた。稽古が好きな方ではなかったが、そこから気持ちを入れ替えた。

 18年7月の名古屋場所では幕下に転落。大関経験者が幕下以下で相撲を取った例はなかったが「土俵に上がっている以上、もう一回、どこまで通じるか試したい」とプライドはかなぐり捨てた。幕下以下がつける黒まわしを締めて稽古を重ね、序二段から5場所連続6勝以上で関取に復帰。十両も2場所で通過した。どん底からの幕内優勝は「慎重に一つのことをやってきた」ということの集大成だった。

 「落ちているときも応援してくれる方々、家族、親方、おかみさん、部屋のみんな、支えてくれる人がいたから恩返ししないといけないと思った」。2度目の優勝は復活劇の序章にすぎない。28歳にはまだまだ恩返しのチャンスが残っている。 

 ◆照ノ富士 春雄(てるのふじ・はるお)本名ガントルガ・ガンエルデネ。1991年11月29日生まれ、モンゴル・ウランバートル出身の28歳。2010年末に間垣部屋に入門し、若三勝のしこ名で11年5月の技量審査場所で初土俵。部屋の閉鎖で13年4月に伊勢ケ浜部屋に移籍。13年秋場所新十両、14年春場所新入幕。しこ名は伊勢ケ浜部屋の横綱・照国と、師匠の伊勢ケ浜親方の現役時代のしこ名の旭富士から命名。15年夏場所で初優勝を飾り、場所後に大関昇進。両膝の負傷などで在位14場所で大関から転落した。得意は右四つ、寄り。1メートル92、180キロ。

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