“ギョッ”としたこと数知れず とことんハマって増す情熱

[ 2019年2月21日 14:09 ]

 伝説の釣り漫画「釣りバカ大将」や「マジンガーZ」の作者としても知られる漫画家・桜多吾作が釣り人生を振り返る。怖いもの知らずだったあの頃は…。(イラスト&文k桜多 吾作)

 出版社の船釣り企画に参加したのが釣りを始めるきっかけになった。その頃、僕は「冒険王」に「マッハSOS」を連載。さらに学研の雑誌に科学マンガも描いていた。

 27歳。結婚もし、仕事も遊びも脂が乗り切っていた。

 最初の釣り体験は、「釣れない」。普通はそこでやめてしまうのだろうが、負けず嫌いな性格もあってその半年後、雑誌で会員を募集していた磯釣りクラブに入会した。

 一方、年に5〜6回、船を仕立てて沖釣りもするようになっていた。茅ケ崎・沖右衛門丸でシロギスを釣り、宿の人に料理の仕方を教えてもらったのは覚えている。

 お土産が持って帰れるのも釣りの魅力だ。結婚間もない妻にも釣りたての魚を食べさせた。そのせいか今でも妻は魚が大好きだ。

 ある時、静岡県伊東の磯に行った。狙うのはスミヤキ。夜中に着いたので真っ暗。一心不乱で釣り、辺りが明るくなる頃、周りを見て恐怖で足がすくんだ。僕は高所恐怖症。海面はずっと下にあった。

 熱海で堤防釣りをしたとき、5センチほどの小さなハオコゼを釣った。大切な命だ。リリースしようとして背びれで手を刺された。毒魚としても知られており、あまりの痛みで病院へ行く羽目になった。

 何かにハマるととことん…の性格が災い(幸い?)したのか、「釣れない」体験を重ねるごとに釣りへの情熱は増すばかり。

 足場が悪く、海面から高さがある難所として知られる三宅島のサタドーで仲間とヒラマサを狙った。道具一式をそろえるのに10万円以上かけた。

 そのときはオデコだったが、その後は同島のほか神津島や八丈島で釣りまくった。趣味が高じて、のちに僕の代表作となる「釣りバカ大将」の連載も始めた。そして出版社の社長の紹介でスポニチの釣りデスクと知り合ったのもこの頃。最初はあんなに苦労したヒラマサは、気が付けば、必死の思いをしないでも釣れるようになっていた。

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