亡き先輩の素晴らしきかな青春グラフィティ

[ 2024年4月16日 15:30 ]

河原一邦さんの告別式で弔辞を読む荒井晴彦さん
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 【佐藤雅昭の芸能楽書き帳】4月も半ばを過ぎると、カンヌ国際映画祭の話題が紙面やネットなどで取り上げられることが増えてくる。フランス南部のリゾート地で開催されるシネマの祭典。77回目の今年は5月14日の開幕だ。

 筆者が取材に飛んでいた頃には黒澤明、今村昌平、大島渚といった監督たちも健在で、精力的に新作を出品していた。地中海の風を感じながら巨匠たちと同じ空気を吸えたのだから、ぜいたくで幸せな時間を過ごさせてもらったものだ。

 黒澤監督は晩年に取り組んだ「夢」(1990年)、「八月の狂詩曲」(91年)、そして遺作となった「まあだだよ」(93年)の3本が特別招待作品として世界にお披露目された。カンヌでも格段のリスペクトを集めており、「さすが世界のクロサワ!」と認識を新たにしたものだ。

 少しさかのぼった80年代のこと。先輩記者と黒澤監督が同じフレームに収まった写真を見せてもらったことがある。「影武者」(80年公開)ではなく、おそらく「乱」(85年)の撮影現場を取材した際の1枚ではなかろうかと思う。デジタルではなく、フィルム時代の産物だ。

 昔は映画会社の宣伝マンが撮影し、あとで焼いてこっそりプレゼントしてくれたりしたものだ。筆者も高倉健さんと一緒に写った写真を贈られたことがある。今はそんな粋なことをしてくれる人間はほぼ皆無。無理やり依頼してみても、きっと「事務所に相談してみます」という虚しい答えが返ってくるのが関の山だ。

 黒澤監督と一緒に写った先輩の名前は河原一邦さん。虚血性心疾患のため昨年10月16日に76年の生涯を閉じた。芸能分野では映画、音楽を担当し、気に入った作品や人物にはとことん入れ込んだ。アウトローというか、ちょっとヤンチャが好きな無頼派だった。

 小栗康平監督の「泥の河」(81年)を絶賛して大胆な紙面作りを展開したり、降旗康男監督の「冬の華」(78年)に出演していた小林稔侍のキラリと光る存在感に光を当てたコラムは忘れがたい。崔洋一監督や松田優作、尾崎豊を愛した。荒戸源次郎さんと飲みに行った日々も懐かしい。

 日本を代表する脚本家で、「身も心も」「火口のふたり」「花腐し」など監督としても活躍する荒井晴彦さん(77)が都立立川高校の同級生。河原さんが慶応義塾、荒井さんが早稲田と学びの場は分かれたが、やがて仕事で交差し付き合いが続いた。

 季刊誌「映画芸術」の巻末「荒井晴彦ノート」で荒井さんが河原さんをしのんでいる。10月22日に三鷹の禅林寺で営まれた告別式でささげた弔辞を再録。「河原、俺にこんなことやらせるなよ」で始まる惜別の辞は涙なくしては読み切れない。ここに添えるのは弔辞を読む荒井さんの写真だ。

 初めて知ったこともずいぶんあった。なんと濃い青春を河原さんは送っていたのだろうと目からウロコが落ちた。遅ればせながら後輩記者として荒井さんにお礼を言いたい。天国の河原さんも照れくさそうにほほ笑んでいるに違いない。

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