島田珠代 3歳から9年間離れて暮らした娘と再び生活 大ゲンカ「つらくて」も話し合い「良好な関係に」

[ 2023年9月26日 16:00 ]

島田珠代
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 吉本新喜劇の島田珠代(53)が26日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)にゲスト出演。3歳から12歳まで離れて暮らしていた娘との現在の生活について語った。

 島田は「名古屋で連続ドラマをやっている時に、小道具さんをやっている方と恋に落ちまして」再婚したが、夫は3年前に直腸がんで他界したと明かされた。

 娘を出産してしばらくして夫のがんが判明。「余命が大体5年ぐらいで」と島田。その後家族で大阪へと移ったが、夫の抗がん剤治療のつらさや島田の仕事の忙しさなどでぶつかることが増え、夫は名古屋へ帰ることに。その際、「娘は連れて行く」と主張し、島田は当時3歳だった娘と別れて暮らすことになったという。

 夫は夫の両親のサポートを得ていたが、娘が小学3年生になった頃、母と父が続けて他界。娘の家事の負担も増えたことから、島田の母が名古屋に行き、夫と娘と暮らすことになったとした。

 黒柳が「余命5年と言われたご主人は、告知から11年生きて、3年前に亡くなったんですって」と話すと、島田は「娘が小6の12月23日に息を引き取ったんで」と明かした。

 その後、3歳から離れて暮らし、12歳となった娘と2人で大阪で暮らすことに。「娘もかなり大人になってるし、3歳と違って嫌なものは嫌って言うようになってて。私、親っていうのは、120パーセント娘に怒れるものだと思ったんです、注意できる、そういう存在だと思ってたんですけど、違ってたみたいで」。娘が中学2年生になった頃、「うわーって爆発して」と振り返った。

 娘からは「ママはそんな私とちゃんと生活もしてないし、病気だったら看病もしてないし」「苦しい時に一緒だったりとか、小学校の時間割を一緒にしてくれたりとか、それまでもお父ちゃんがしてくれれてママはそんなのしてくれなかったのに、怒るのはずるい」などと言われて大ゲンカになったという。

 島田は看病などは「赤ちゃんの頃はしてたんですよ。覚えてないですし、本人は」と話したものの、当時の娘は「だったらおばあちゃんと暮らす。おばあちゃんは全部やってくれた。ママよりおばあちゃんがいい」と1カ月島田と口を利かなかった。島田の母が家に来て、娘と話してはいたものの、島田は「もうつらくて」と当時の思いを涙ながらに明かした。

 だが、娘と再び話し合いを行い和解。娘から「ママ、悪かった時はママも謝って。大人だって謝らないといけない時もあるのよ」と言われ、島田は「私は間違ってたなと思って。子供がいて、子供によって親が成長するっていうのは、このことなんだと思って」と反省したという。

 「それから良好な関係になりましたし、もう3年もたったら母親らしいことをやっと。今は仕事帰りでしんどいですけどやってます」と話した。

 番組では娘からの手紙も紹介。「ママへ。ちゃんと徹子さんからの質問答えられたかな。今回は母への想いをということで、正直何を書けばいいか分かりませんが、頑張るので温かい目で見守ってやってください」との書き出しから、「小さい頃離れ離れの時のママのイメージはすごい人でした。たくさんテレビに出て優しいママでした。そして宇宙はどこまで続いているのかみたいな感じで。私はママの子どもなのだろうかと疑ってしまうほどにママは遠い存在でした」と続いた。

 さらに「ですがこの3年間でたくさん笑ってたくさん喧嘩(ケンカ)して新たな一面をたくさん見つけました。私の中で意外な所が2つあります。スキンシップをたくさん取ってくれる所です。私はもう中学生で扱いが難しくなる時期なのにも関わらず一緒にトランプをしたりたくさんお出かけをしてくれます。2つ目は私の話をたくさん聞いてくれる所です。普通は仕事帰り、久々の休み、どちらも疲れているはずなのに笑顔で聞いてくれます。そんな人情味ある母が大好きです」とつづられており、「他にもちゃんと手料理をふるまってくれる所や合間に学校行事を見に来てくれる所や、ドジかと思ったらしっかりしている所も大大大大好きです。ずっと一緒に居てください」と締めくくられていた。

 島田は「ありがとうございます。そんな文章書けるんだ。凄い」と涙をぬぐうと、「もう今はあなたが全てです。だけどあまり依存しないようにお友達みたいにしてください。本当にママが子供なので、もう背も163センチでとうに私のこと超えてるので、電球とか変えてください」とメッセージ。母に向けても「本当にありがとうございます」と頭を下げた。
 

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