ライオネス飛鳥 肥満児だった女の子が20キロ減量「水着でお金稼ぐとは…」全女の門を叩いたワケ

[ 2023年9月26日 12:14 ]

ライオネス飛鳥
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 1980年代の女子プロレス界で一時代を築いた「クラッシュギャルズ」のライオネス飛鳥(60)が26日、文化放送「くにまる食堂」(月~金曜前11・00)にゲスト出演。女子プロレスラーになった経緯を語った。

 ライオネス飛鳥は高校を中退し、1980年に全日本女子プロレスに入団した。女子プロレスラーになった経緯として「昔から肥満児ですごくコンプレックスを持ってた人間だったんですけど、ちょうどマッハ(文朱)さんの時代に親戚のおじさんに“プロレスラーになれよ”って言われた時に女子プロ=肥満児ってコンプレックスを増長させる言葉だったんです」と当時は女子プロに興味がなかったという。

 ところが「中学1年生の時にビューティ・ペアが人気で一目で“この人達みたくなりたい”って思って、それが13歳」とビューティ・ペアのジャッキー佐藤、マキ上田に憧れた。

 そして「80キロあった体重を1カ月で60キロにして」と女子プロレスラーになるため、ダイエットを決意。「ご飯粒食べない、食べたらすぐ運動。腹筋を1日300回ぐらいやってました」と減量に励み「運動とはほど遠い生活をしていた自分がそれぐらいの気力を出させてもらったので、ビューティ・ペアとの出会いがすごく自分の人生を左右する大きな出会いでした」と2人の存在に感謝した。

 その後、「中学校卒業でオーディション受ける資格はあるんですけど、母子家庭だったので母親に“高校だけは行ってくれ”と言われたので受験して高1の冬にオーディション受けて」と全日本女子プロレスに入団。練習生を経て5カ月後にデビューを果たした。

 ただ、小学生の頃は肥満児だったため「水泳の時間、水着姿になるのが嫌だった。だから未だに泳げない状況」とカナヅチだといい「まさかビューティ・ペアに出会って水着でお金稼ぐとは思ってませんでした。人に見せたくない水着でお金を稼ぐというね」と自分の人生が180度変わったと笑っていた。

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