小田貴月さん 映画人らしい高倉健さんの最期明かす「ずっと映画のロケ地巡りを」

[ 2023年4月20日 18:21 ]

小田貴月さん(C)高倉プロモーション
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 故・高倉健さんの養女で高倉プロモーション代表の小田貴月(たか)さんが、20日放送の日本テレビ系「情報ライブ ミヤネ屋」(月~金曜後1・55)のインタビューに答え、高倉さんの闘病生活について明かした。

 高倉さんは2014年11月10日、悪性リンパ腫のため死去した。83歳だった。小田さんが高倉さんの異変に気づいたのは、その年の元日。いつもは食事を残さない高倉さんが、おせち料理を残したことを不思議に思ったという。「残すというのが若干、続いたんですよね。本人は“風邪だから大丈夫。治るから”って。(小田さんは)“風邪じゃないと思うんだけど”という話になりました」と振り返った。

 診断の結果は、血液のがんの一種、悪性リンパ腫。「“先生、治療しないとどうなるんですか?”って(聞くと)、まどろっこしい言い方はせず、“死にます”って」(小田さん)。医師からの単刀直入な見解に、高倉さんも病魔と向き合う覚悟をしたそうで、「そうですか…。人はいずれ死ぬんだけど、まだ死ぬわけにはいかないんです。まだ仕事があるんです」と話したという。

 小田さんによると、闘病中の高倉さんは、手足の体温が下がることに苦しめられていた。「片方の手を温めると、もう片方は温められない」。そこで小田さんは、片方の手を自分で、もう片方の手には鍋つかみをかぶせ、温めたという。

 一時は寛解し、同年8月にはCM撮影に挑んだ。しかし、その後、再び発熱。さすがの高倉さんも「僕はこの病気で死ぬのかな?」と覚悟したような言葉を発したという。小田さんは「私がその時できたのは、“このあたりが痛いんですよね”って、ずっと腰をさすってた。ずっと“早くお家に帰ろうね”って言われて、帰らせてあげたいなって」と振り返った。「看護師さんもみんな親切なんですけど、(高倉さんは)自分が弱っていく姿はできるだけ見られたくなくて」、自宅に帰ることを望んでいたという。

 死去するまでの数日間は、投薬のため意識もうろうとした状態だったという高倉さん。小田さんは、そんな高倉さんの最期の様子を明かした。「ずっと映画のロケ地巡りを(しているつもりだった)。自分が撮影に行った場所を。“今、沖縄にいるんだ”、“そうなんですか”、“これから飛行機に乗るところ”という会話をずっとしてるんです。その中で聞き取れた最後の言葉が、“慌てるな、慌てるな”って。それだけは聞き取れましたね」。最期は映画人としてまっとうした人生を振り返るように、この世を去って行ったという。

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2023年4月20日のニュース